単純な生活

Life goes on brah!

2025/03/11 拳と絆

BGM: Yellow Magic Orchestra - Tighten Up (Japanese Gentlemen Stand Up Please!)

今日は早番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに精を出してから晴れて10時より仕事に入る。仕事をしながら今日、あれこれ考えたのはこんなことだった。この日記でもつねづね書いてきたように、ぼくが子どものころというのはなんら美化する余地なんてありえない「いじめられっ子」の時代で、だから毎日が希死念慮と隣り合わせの殺伐とした時代だった。後に、これまたこの日記でも何度も書いてきたことを性懲りもなく書いてしまうが、大学に入ってから宮台真司の書いたものにハマって読みふけった時期に彼の著作『これが答えだ!』(たぶんこれだったと思う)に書かれていた彼のいじめをめぐる議論に感銘を受けたことを覚えている。

彼もまたいじめられっ子だった時期があったというが、おそらくはその実体験と彼の途方もない学識が融合して生み出されたその持論によると、ぼくがもしそうした不条理ないじめに打ち克とうとして暴力に訴えかけるとすれば(たとえば、それこそ拳で「ガツンと」相手を問答無用でぶん殴るとかいった解決を試みるなら)、そうした姿勢は信頼関係よりも暴力による理不尽な威圧を上位に据えた人間関係を結んでしまうことになり、つまり(こんな雑な語彙は宮台は使っていなかったのでぼくの責任ということになるが)暴力に「味をしめて」しまうことになるとぼくたちに警告している。その言葉が、遅まきながら今年50にならんかというこのぼくには実によくわかる気がする。暴力による支配欲というのはこのへなちょこなぼく自身の中にさえ存在することをぼくは認めたい。

だが、ならばどのようにして真に他者と健康的というか健全な信頼関係・人間関係を結ぶべきなのか(拳で一発ぶん殴る、という手段に頼ることができないというのなら)。宮台は上に書いたことに付言して、彼自身も経験したいじめとしてクラスメイトたちに無視されコミュニケーションの輪の中から徹底的にはじき出されるたぐいのものがあることを語る。そして、それが直接的には殴る・殴られるといった暴力をともなうものではないにしろひどく「キツい」「こたえる」たぐいのものであることを詳述している。ぼくも彼の意見に同意したい。とくに10代のころ、ぼくはほんとうに底知れない「孤独」「隔絶」を生きなければならなかったことを思い出せる。

いや、言ってしまえばたった6年かそこらの「孤独」「ぼっち」の時期ではあった。だが、そのたった6年が10代でまだなにもわかっちゃなかったぼくにはほんとうに長く、そしてどんなコネクションからもはじかれていることがどれだけ心細いことだったかいまでも思い出せる(いやもちろん、好きこのんで思い出したいことではまったくないが)。「孤絶」から耐えるためにぼくはそれこそ、本と音楽が織りなすオタク的な世界の中に逃げるしかなかった。言い換えればそんな感じで孤独に過ごすしかなかったので他者と「揉まれて」コミュニケーション能力を鍛えるなんてことできるわけもなかったのだった。10代とはまさにそんな感じでいろんな生きる技法を鍛えるため、「下ごしらえ」をするための時期でもありえたというのに、である(たとえばぼくはエーリッヒ・フロム『愛するということ』を出色の出来の1冊と思っている。フロムがこの本で解き明かしたように、恋愛することは上の世代・外部から教わることで体得する人工的なことがらであるはずで、そしてそれを下の世代へと継承していくべき「知の技法」だとも信じている)。

どうやってそんな原初的な要素を信頼し、人間関係において自分自身を預けてしまえばいいのか。雑に要約してしまうならば、どうやったら人を信頼できるか。これもまたいつも書いていることだが、40の歳にぼくはひょんなことから発達障害について考えるとある自助グループに出入りするようになってそこで自分自身を晒すこと・語ることをはじめた。そこでは失敗さえ晒してしまったりもした(失敗・しくじりなら数え切れないほどしでかした)。他の参加者たちはかならずしもプロの心理学者やカウンセラーたちではなく、だから傷ついたぼくの心に即効性のアドバイスをくれたわけではなかった。ただ、そうした人たちのとてつもなく深いやさしさにいつだって包まれてその中でぼく自身恥を晒し、腹蔵なく自分を語るうちに自分の心が明るくなり癒やされるのを感じたのだった。そんな感じで、とりたてて頭でっかちなことというかこざかしく戦略的なことを考えたわけでもなく、日々こまやかな経験を他者と「コラボ」して積むうちに信頼関係というのは雪だるま式にでき上がり膨れ上がったのかな、と思った。

仕事が終わり、その後英会話教室がはじまるまでの時間をユヴァル・ノア・ハラリ『Nexus 情報の人類史』を読んで過ごす。第三章まで読み、ここでは詳述する余裕はないが実に明晰に書かれた「オープン」な、万人にフェアに惜しみなく彼の知識・知見をシェアしようとする毅然とした知識人としての態度を感じた。実に、ここからもっともっと続きを瞠目しつつ読みふけることになりそうだ。その後英会話教室に通い、そして今季最後のレッスンを楽しむ。今日は前半は会話のトレーニングを楽しみその後ゲームに興じて、お菓子をつまみつつあれこれ座談。こんな感じで日常的なしぐさとして楽しいひと時を過ごす内にこそ、「堅い」「タイトな」関係を結ぶ奥義があるのかなあ、とかなんとか考えたりしてしまった。それこそが信頼関係を結ぶ秘訣なのかな、とも。