今日は遅番だった。今朝、またしても英会話関係のZoomミーティングに参加し英会話に精を出す。今日のテーマは「リモートワーク」の長所と短所についてで、リモートワークとは無縁のぼくもあれこれつたない自説を語る。その後、グループホームの本家におもむきそこで管理者の方とすこし話をしてから食堂を使わせてもらい、そこで加藤陽子『この国のかたちを見つめ直す』という本におさめられていたエッセイを読む。どのようにして他者の見解をシミュレートし(他人の立場に立ち)、視野狭窄になるのをふせぐかという話が書かれておりおもしろく読めた。いま詳述するゆとりはないが、紹介されている清沢洌の『暗黒日記』を読めたらと思った。
その後、なんだか風邪のあとの病み上がりの身だったからかこれといってとくに本を読むでもなくTwitterのタイムラインを眺めてななめ読みしていたら著名な日本のブロガー・小飼弾がおもしろい見解を語っているのが目を引く。小飼弾はあるTwitterのユーザーの意見への引用リポストのかたちを採って、日本語オンリーの言語空間が時にせまい・閉ざされた空間になり世界の真実・真相を見る目を曇らせてしまうことを語っている(彼はこの現象を語るに当たって、「エコーチェンバー」という言葉を使っている)。彼の言葉は充分うなずけるもので、ぼくはなにも皆が多言語話者になるべきだとまで言うつもりはこれっぽっちもないにせよ、単一言語で考える際はありうる危険を踏まえたうえでそれぞれがソリューション(解決策)を練らなくてはならないのかなあ、とも思った。なんだか世知辛い話になるが。
https://x.com/dankogai/status/1898276247438082106
ぼくにとってはここまで書いてきたとおり、加藤陽子と小飼弾は(もちろん、双方の意見は「直接的には」なんの関係もないにせよ)おなじことを警告し諌めているように感じられる。それはつまり、「他者の靴を履く」ことというか「他者の立場に立つ」ことがどれだけ大事でかつどれだけ至難の業でありうるかということなのかなとも思う。ぼくはしばしば書いてきたとおりの発達障害者なので、だから有名な「サリーとアン問題(だったかな)」が語るように障害特性が邪魔してなかなか他人の立場に立てない。もちろん特性だから許してください、というのは甘っちょろい考えであることもわかっている。こればかりは訓練によって鍛えるしかない(というか、ほかに方策を思いつかない)のが悩ましい。
だからたぶんできる解決策の1つとして、視野狭窄にならず自己中・パラノイアックにならず(いや、この種の精神病理のタームをこんなかたちで気安く使うことは戒められなければならないがあえて使ってしまう。もちろんお叱りの言葉は甘んじて受けとめたい)視野を広く保つにはぼくの場合はこんなかたちで英語を学び続けてより幅広く・より多様性あるコミュニケーションを楽しむことなのかなあ、とも思う。むろんぼくがたとえ単一言語話者(モノリンガル)だったとしても視野を広く保つことがまったくもって不可能とは思わない。日本語オンリーであっても異なる立場の持ち主なんてぼくが知らないだけ・Twitterがアルゴリズムで「蹴っている」だけでそんな人たちはゴマンといるはずだ。でも、ぼくはカジュアルに英語であれこれ意見交換を楽しめているしいったいなにを考えているか再考することもできていると思う。それが足りない可能性だってもちろんあるので、これからだってコミュニケーションを欠かしたくないなあと思っているのだった。
その後、イオンに向かいそこでランチを楽しむ。着いてみるとまだ若干時間があったのでイオンの中の未来屋書店に向かいそこでなにかおもしろい本がないかと散策がてら新刊チェック。すると、なんとあのユヴァル・ノア・ハラリ『ネクサス 情報の人類史』がありこれにはさすがに驚く。こんな田舎の本屋で見かけるとは思わなかったのだった。恥ずかしい話、実は彼の『サピエンス全史』『ホモ・デウス』は未読で(むしろこんなスケールのでかい本は総じてこれまで「読まず嫌い」だったのだ。いや、まことに恥ずかしいが)、だがこの『ネクサス 情報の人類史』に関して言えばすでに英語圏で読んだある方からいい評判の片鱗を聞いていたので面白そうだと思って給金をはたいて買い求めてしまった。その後は仕事に入り1時から9時まで1時間休憩をはさんで働く。休憩時間にそのハラリの本について考えたり、あるいはさっき書いた加藤陽子・小飼弾のことを考えたりして過ごして、それでなんとなく1日が終わった。
