単純な生活

Life goes on brah!

2025/03/09 ベストソリューション

今朝から満を持して、英会話関係のZoomミーティングにふたたび顔を出し直した。まだ声が鼻声なのが悩ましい。毎週日曜日はいわゆる「フリートーク」の日でメンバーたちが思うところを気軽に・自由にリラックスして話せる日である。ぼくはさいきん風邪を引いてしまいクリニックに行ったことや床に臥せって過ごしたことなどを話した。その後10時から、今日の仕事をなんとかいつもどおり始めることができた。

ぼくが思うに、おそらく人の人生においては単純に言って「ツキに見放されている」としか言いようのない時期というのも何度かあるはずと思う。ときおり、なにもとりたてておかしなことをしたり態度を変えたりした記憶なんてなくても、「悪運」「運の尽き」としか言いようのない「その時」というのは来てしまったりする。そうした時はプロのギャンブラーがそうするように、「負けまい」「ツキを呼び込もう」とあせるべきではない。その「負け」がかさまないようにうまく「負ける」ことを考えないといけないのだろう。今朝、ぼくはいつものように仕事をしていた。いつも職場で仕事中感じているフィーリングやカンを握りなおすのはむずかしかったけれど、それでもなんだか午前中はうまく行っているように思えた。だが、とつぜんひどい失態をさらしてしまうこととなった。ここで詳細をつまびらかにすることは職場にも迷惑になりかねないので避けるが、なんとかとりつくろうまでにずいぶん時間がかかった。なんたるか! しかし、信頼できる先輩がこの失敗についてフォローしてくださりたいへん助かった。

この日記でも何度も折に触れて書いてきたが、日本の哲学者でぼくが好きな人と言うと柄谷行人野矢茂樹、三木那由他や永井玲衣や中島義道といった人たちがいるがその筆頭というかたぶんもっとも理論的に気が合うのは鶴見俊輔なんだろうと勝手に思っている。その鶴見俊輔は彼の仕事の中で「可謬性」という言葉を使っている。人はかならずしもいつだって完全無欠というか完璧というわけではなく、むしろその立ち居振る舞いや行動、アイデアにおいて間違いをしでかすことがあたりまえであるということだ(すくなくともぼくはそのように解している)。ぼくが犯した間違いもありえることというか「想定内」のことで、それはぼくが望む望まないを問わず人間だからしてしまうことである。したがってその不完全さを是認し、あとは同じパターンの失敗を繰り返さないよう再発防止策を自分なりに練るしかない。でも、それが正しいとしても、恥ずかしさややりきれなさは消えない。それでも長年この仕事を曲がりなりにもやってきて体得してきたことを駆使して、なしうる「ベストソリューション(最適解)」をはじき出しそしてとりつくろったとは思う。あの時はもうああするしかなかった、とは言える。

その後、まだ心のなかが混乱していて落ち着かなくなって剣呑だったものの、なにはともあれ昼休みになったので昼弁当を食べてそれから昼休みを満喫する。その後なんとか仕事を終わらせ、部屋に戻りリラックスして「じぶん時間」を過ごす。時間はあったのでなにか本を読むのもよかったのかもしれないが(昨日読みかけていたダグラス・マレー『大衆の狂気』や、ベンジャミン・クリッツァー『21世紀の道徳』なんかが控えていた)、でもなんだか気が乗らずあきらめる。LINEで元ジョブコーチに今朝の失態について明かしてしまう(下品な言い方をすれば「ゲロって」しまったとも言える)。すぐ返事が返ってきて、それがとてもありがたかった。ここでは詳細は書けないがそうしたつながりが肌に沁みる。ぼくは発達障害者であり、その障害が見えなかったり思われている以上にひどくおおきな障害であることで日々生きづらさを感じている。人から誤解されることも多々ある(ぼくだって他人を誤解する。仕事で失敗だってしてしまうように。むしろ「日常茶飯事」かもしれない)。でも日々、その時その時できる「ベストソリューション」を繰り返していくしかないのかなあとも思った。