その後、イオンに向かう。イオンでやったことと言えば優雅に読書……ではなく(病み上がりの身であることを忘れられるわけがない)、ATMで給金を引き出すことだった。午後になり、ローソンで買った昼弁当を食べたのちすこしばかり眠り、その後グループホームの本家に赴く。財布のなかに給金をしのばせ、ここにおいてもマスクはもちろん着用する(他の利用者さん・世話人さんたちに感染させたら目も当てられない)。今日は副管理者の方が出勤しておられて、それでさっそくさっき引き落とした給金を腑分けしていく。たとえばグループホームの月々の利用料や通院費や、あるいは断酒会会費や自助グループ参加費、はたまたガソリン代や貯蓄に回せるお金、といったように分けていった。無事わけられ、ホッとひと安心。
そんなこんなでその後は長々話すのももちろんよくないことで、だから自部屋に戻りそして夕食をいただく。その後、夜に(後述するように)約束があったのでそれまで時間があってそれで図書館で借りたダグラス・マレー『大衆の狂気』をすこしばかり読む。ときおり、読書に疲れたおりにTwitterなど眺めたりしていたのだがそこで誰かごろつきみたいな人たちが実に便利でキャッチーなメンタルヘルス用語、とりわけ「境界知能」といった言葉を用いて相手をぶん殴ろうとしているのを見かけてしまう。なんだか人権問題について議論していた(つもりだった)ようだが、しょせんこいつらの感覚なんてこんなものかと白けてしまった。「発達障害」だってこういう人たちからすれば便利な棍棒あるいはゲバ棒なんだろう。いや、拙速な決めつけは慎まないといけないが。
なんだか偽善的で優等生ぶっているように聞こえるかもしれないが、たしかにそういうところがあることは認めたい。ぼくの中にはそういういやらしい性格がある。ただ、それを差し引いてもぼくは上に書いたようなことをおおまじめに考えているつもりで、というのはそんな「便利な」「使い勝手がいい」メンタルヘルス用語を人を傷つけるため・自分のメンツを守るためだけに使うことを危惧するからだ。もちろんこれはぼく自身にもはね返ってくることで、だから断固として他人を批判する文脈で「境界知能」「アスペ」なんて言葉は使わない。こんな「しらじらしい」というか「ナイスすぎる」態度はたぶんそれなりに発達障害者として生き、その過程で福祉の現場を利用者として見てきたりした経験からなんだろうと思う。他人の弱さを理解できるつもりはないが、ただ寄り添う姿勢と相手の言葉を傾聴しそこから自分の言葉を可能な限り責任を負って語る態度は持っていたいなあ、と思う。
夜になり、Discordにてあるアメリカの友だちと落ち合ってボイスチャットを楽しんだ。英語であれこれ話す。Discordの音質には慣れておらず(ぼくなりにあれこれ調節はしたが、なにせこの機械オンチな性分がたたってまだ不充分なのかもしれない)、またZoomのビデオ通話と違って声だけの通話は相手の唇も読めず表情もわからずで、そうなるともちろん非ネイティブの身の上。何度も相手に問いただすことになる。でも、ぼくたちが共通で好きなバンドであるジェネシスやあるいはさいきん彼が買った『よつばと!』の単行本などの話ができ、楽しい時間を過ごせたかなと思った。今度はぼくから話題を持っていきたい。
