そうこうしていると、午後になってグループホームの管理者の方がぼくの部屋に来てくださった。いまの状態について質問されて、それで熱を測る。すると38度台ということで、昨日はそんなに熱がなかったのでぼく自身驚く。それで、これは仕事に復帰するのはもう少しばかり様子を見たほうがいいという話になり、総合病院で風邪症状について確認してもらい抗生物質をもらうことを薦められた。もちろん異存はない。
その後はもうやることもなく、なのでベッドから出てテキトーにYouTubeでも楽しむかと思ったが気も乗らず、それでただ鶴見俊輔の他の本を開いたりして過ごした。聞いた話では鶴見は過去、札付きの不良少年だったそうで万引きをはじめ目を覆うような非行に明け暮れたのだという。その背景は鶴見の哲学というか自説にかくじつに影を落としており、たとえば鶴見が折に触れて語る「自分は罪深い悪人で誰かを殺すかもしれないし、戦場でなおも売春をはたらくかもしれない」といった吐露にあらわれている(こうした正直で不器用な人がぼくは好きだ)。ぼくの場合はどうか。むろんぼくは人を殺すことはしないと思うが、ただ緊急事態においてはそうした「殺し」は平和を守るために正当化されることもあるのではないか、という問いも組み立てられる。たとえばアメリカ同時多発テロのことなどが思い浮かぶ。これはむずかしい問題だ(少なくとも風邪を引いている時に考えるべきことではない)。
どうやって正常さというか正気を保ち、誰にも流されたり最悪の場合「洗脳」されたりしない健全さを守るべきか。実にこれは難問(アポリア)だ。いまぼくはとてもこの問いに答えを出せない。ただ少なくとも、仮にいまぼくが正気を保っていられているとするならそれはほかの信頼できる友だちとカジュアルに・日常感覚を保ちつつゆるくコミュニケーションを楽しめているからかなと思う。いま、ぼくはある自助グループで発達障害のことを学んだり困り感をシェアしたりしている。ほかにも断酒会や英会話教室や英語研究会といったグループにも籍を置き、そこでいろんなことを話す。ときにはぼくは弱さを見せしくじることもある。そうしたことから学んだことがいまも生きている。
夜になって、もちろん風邪ということで無理はすべきではなかったのだけれどそれでもじっとしていられなかったので(これがADHD特性です)毎週木曜日恒例のZoomミーティングに「耳だけ」「聞き専」参加。市を盛り上げられるためにどのような活動が効果的でかつ楽しいだろうか、といったことが話題だった。ぼくが「英語バカ」(失礼)だからということなのか、「外国人の方々も気兼ねなく参加できるようなイベントがもっとあったらいいなあ」とか、外野から無責任なことを考えてしまう。いや、もちろんそうしたイベントを考えるのは至難の業というものだし、すでに国際交流協会や他の市役所の方々、市のさまざまな方々が奮闘されていることもたしかだ。そうした方々が主催されるイベントに参加すること、そこで交流を楽しむことも正気を保てている秘訣なのかなとも思う。とまれ、楽しいひと時だった。
