単純な生活

Life goes on brah!

2025/03/01 BGM: 高野寛 - ベステン ダンク

今日は早番だった。今朝もいつものように英会話関係のZoomミーティングに参加して英語学習に精を出す。今日のテーマは俗に言う日本の伝統的な食べ物、ぼくたちが列車の中などで食すローカル色ゆたかな「駅弁」について。日記にも書いてきたがぼくは実はほんとうに旅行とは縁のない生活をしており、それはもっぱらこの発達障害的気性(計画を立てられなかったり、起こる不測の事態にまったくもって対応できない情けなさ)あってのことだ。だからさいしょはなかなか他の方々が進めておられるディスカッションに入って行けず苦しい思いを強いられたのだけど、参加者の方々にうながされてぼくもくじけず・めげずに話すことができた。話題が日本酒(主に清酒)の話に進み、そこからぼくが依存症を抱えている身の上でしたがってアルコールもここ10年ほど断っていることを話した。すると、他の方々が感心されたようだった。ああ、参加者の方々のあたたかい心遣いには何度感謝しても足りない。

その後午前10時より仕事をはじめる。仕事前にロッカールームにて着替えを済ませた後に、ぼくが所属させていただいているとある哲学カフェ的なグループのLINEのチャットルームのタイムラインを確認する。すると、ある方がひきこもりを特集した『プロジェクトX』について投稿されているのが目を惹いた。なんでもその方の話では、藤里町という町のこころみが紹介されていたようだった。どのようにしてひきこもりを彼らが抱える地獄のような孤独から救い出し、社会復帰(コミット)への足がかりを提供したかというのが骨子らしい。いまではひきこもりは「ゼロ」になったのだそうだ。それはおもしろい内容のように思えたので、帰宅後早々にチェックしてみることを誓った。

ぼくはじっさいのところひきこもっていた時期はない。だから、そんな身の上ではひきこもりのことは想像力を駆使して考える・おもんばかるしかない。彼らがどのようにしてひどい孤独と戦っているか……ぼくのケースで言えば過去に大学を出た直後、半年ほど医師や両親と相談して文字どおり「なんにもしない」ことに宛てたことがあった。仕事を探すことすらせず、また勉強もせず身と心を休めることに専念した、というか。たった半年のニート期間だったわけだ(家の近くのコンビニに行って『AERA』など買い求めて、自分なりに世の動きについていこうとがんばっていたことはあった。いや、気負いばかりがありあまっていたと汗顔の至りだが)。あのころはニートなんて概念があったのかどうか……LINEにて、そんなことを書いて投稿したりした。その半年のニート期間を経て、いまの会社に入ったわけである。

今日の仕事が終わった後、夕食を食べてからその『プロジェクトX』を鑑賞する。ある女性がくだんの藤里町に住む(だが、かならずしも可視化されておらず「腫れ物に触る」思いで扱われていた)ひきこもりのことを心配したことからはじまったこの「プロジェクト」。2000年代はじめのことということで、当時はバスジャック事件やその他ひきこもりが起こしたとされる凶悪な事件も目立ち決してひきこもりにとって住みやすい時代ではなかった。だから、彼女はそうした彼らが安心して働けて社会にコミットし直せる場所をつくることからはじめたのだという。そこから就労支援につなげることをもこころみたのだと。番組を観る前まではなんだか胡散臭いものというか、こんな甘い話あるわけないだろうとさえたかをくくってしまっていたが観終えてから自分自身の不明を恥じることとなった。藤里町は(つまり、くだんの女性のみならず町民全員)はこんな素晴らしい仕事を成し遂げたのだと。いや、「何度でもやり直せる社会」というキャッチフレーズへの疑念などいくつか言いたいことはあるけれど、まずはこの番組を観終えたことをその友だちたちと話し合おうと思ったりした。

その後、読みかけていた佐伯一麦『ノルゲ Norge』を読む。なんだかだんだんこうした、ぼくたちの人生の陽の当たる側面・ポジティブな側面を祝福せんとするたぐいの小説や漫画(昨日買い求めた稲空穂の本など)に惹かれてしまうようだ。いや、人生にはもちろん「キビシー」側面だってある。でも、それも加味しても「日常系」はぼくにとって重要な参照枠でありつづけている。その先祖はぼくにとっては春樹さんであり、あるいは片岡義男沢木耕太郎の作品群なんだろうか、とも思ったりした。