またその話かよ、と思われるだろうか……でもさかのぼらせてもらうなら過去のぼくが30代だったころのことを思い出す。発達障害者とわかったばかりの時期で、まだまだ具体的な・親身な支援のシステムやグループのことも知らず、それどころかそれこそ発達障害について診断が下ったばかりでまだまだたくさんのことを学んでいかなければならず、おまけにアルコール依存症もかかえていてそんなこんなでまさに人生の「どん底」「ドンケツ」を生きていたころ。その時期のことはもう、いまとなってはなんだか悪夢を思い返すようにぼんやりとしか思い出せない。でも、それでも振り返るならぼくは絶望的な思い込みにとらわれて目の前がまさに真っ暗になっていたことを思い出す。それをひと口で言うなら、「人生終わった」「生まれてきたこと自体が間違っていた」となるだろうか。そんな思いにとらわれ、まさに生ける屍のように惰性で生きていたのだった。
もちろんそんな思い込みがいかにくだらない・たわけた発想の産物なのかいまのぼくはわかる。まさに、当時のぼくはどうかしていたとしか思えない。でもあの30代の10年間(思えばあの時期はまだ元ジョブコーチとも出会わず、恋もせず、英語を学ぶこともせず、断酒もせず……そう思えばそれこそ人生はまだ始まってすらいなかったのかもしれなかった)、ぼくはこの田舎町をそれこそブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」の主人公よろしく傷心をかかえて、癒やし得ない傷に苦しみながらさまよい歩いていたのかなあ、とかなんとか思ってしまう。あのころ、図体ばかりは健康だったがぼくはもう死んでいたのか、どうなのか。
なんだか書いていてぼくも気が滅入ってきたし、またこの話題はあなたにとってもなんだかやりきれないたぐいのものだろう。でも、ご寛恕願いたい。こんなことを自問自答する。「だったら、なんにせよいままで生きてきたんだったら、なんでそんなふうにして生きることを選んだのか」ということを。別の言い方をすれば人生をあきらめてしまい、運命に屈することをついに選ばなかった理由があるんだろうかとか考える。いや、これについてはとぼけるつもりはなくまったくもってわからないのだ。なぜ死なないで生きてきたのだろうか。たぶん、いま言えることを書くならばこんなことはこざかしいこの脳みそで答えをはじき出す・ひねり出すべきことではなく、肉体のテリトリーに属しておりそれゆえにその身体に任せるべきことかなとも思う。この身体の中には松岡修造よろしくホットな血が流れており、心臓が脈打っている。心臓がなぜ脈打つのかわからないが、なんにせよそんな不条理で愛おしい事実がぼくを生かせている。それが少なくとも理由の1つだ……いや、理由になってないじゃないかと言われるだろうか。だったらもうどうしようもない。付け加えるなら、いまは生きる意志がある。「したいことリスト」を書いてみるのもいいかな、とさえ思う。生きる理由を「言語化」できないのはまずいんだろうか。三宅香帆など、本屋に行けば「言語化」の秘訣を書いた本が目立つ。そうした著者から学ぶべきか。なんか、書いていて自分ってバカだなあとあらためて思う。
そんなこんなで夜になり、ほんとうならあれこれしたいこと・すべきこともあったがサボってしまった。その代わり、村上春樹の短編集『象の消滅』の中の短編を1つ2つ読みそれから加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む』の上巻をぼんやり読みふける。これまでしつこく書いてきたが、いまでもぼくは村上春樹を愛する。でも、実のところいまもってなおなんでここまで春樹に惹かれつづけるのかぼくには「言語化」できない。でも少なくとも、高校生のころからぼくにとっては春樹とはまごうことなき「アウトサイダー(変わり者)」の1人でぼくに親身に寄り添ってくれる、よくわからないけどかくじつに尊敬すべき大人たちの1人だったのだ。車寅次郎のように一般社会からはみ出さざるを得ずそれゆえに嫌ってほど辛酸を嘗め、それゆえに経験知をたくわえられた人というか。もちろん、これにかんする異論もあり得よう。春樹はいまや世界に名だたる大作家であり、ゆえに影響力を持つ「権威」ではないか、というようにだ。それはもっともなことだもと思う。彼が純粋な人、「100パーセント」の善人だとは思えない。これについてももっと考えてみたいな、と思った。
