単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/14 BGM: George Michael - Faith

今日は遅番だった。今朝、いつものように英会話関係のZoomミーティングに出席してそこで英語でやり取り。今日の議論のお題はニュージーランドにおけるノマドワーカーのエピソードが紹介され、それをもとにノマドワークやその他さまざまな働き方について意見を交換しあった。ぼくの場合、マネジメントの役職(つまり管理職など)に就いているわけではなく、ただの下っ端である。また、仕事の内容が内容だけに実地で身体を動かして仕事をすることが要請される。したがって、リモートワークとは無縁の仕事だ(エッセンシャルワーク、というのだろうか)。他のメンバーの体験談は実におもしろく、ぼくもとぼけたアホ面で「いろんな働き方があるものだ」と唸ってしまう。

ミーティングの終わり近くで、ホストを務めた方が「もしノマドワーカーとして働けるならどこの国に行きたいですか」と質問された。これは実に抽象的な問いでなんとも的確に答えられなかったのだけど、たぶんぼくが生まれ育っていまなお住み続けている「この町」を選ぶかなあ、と思ってそう答えた。前にも書いたが、なるほどひなびた田舎町ではある。不便といえば不便だ。だが、そのひなびた空気が平和だという考え方もある。いやもちろんまったくもって犯罪と無縁というわけではないだろう(『ツイン・ピークス』みたいな話だけど、平和そうに見える人の暗部になにがひそんでいるかわからない、という考え方もある)。でも、ここはぼくにとって慣れた場所であり相対的にそう危険ではないかなとも思う。東京や大阪の目まぐるしい土地とくらべるとぼくに合っているかな、と。

その後、グループホームの本家におもむく。部屋にいても考えが行き詰まるだけでろくなことがないから気分を変えたいと思ってのことだった。だが、場所を変えてもなんだか理由はわからないけれどまったくもって集中できず往生する。『ハリー・ポッター』の原書購読の続きをしたかったのだけどそれもはかどらなかった。それであきらめてしまい、貸してもらっていた食堂のテレビをつけてぼんやりニュース番組を見る。するとニュースにて、今日がYouTubeがそのサービスを開始してから20年目の記念日にあたるということが報道されていた。ああ、20年か。ぼくもYouTubeがそんなふうに創設された時期、梅田望夫茂木健一郎の本を読んだりして「ウェブ進化論」を学ばんとしたこともあった。でも、YouTubeがここまでビッグなビジネスになることも影響力を持つようになることも、まったく予測できなかった。時は流れる。

1時から、今日の仕事を始める。仕事中にふと、Twitterで巻き込まれている議論のことやあるいは子どものころのことなどを考えたり、それをメモ書きにしてしたためたりする。ときおり、ぼくは人から考え方が(たぶん悪い意味において)とても厳格でくそまじめだと言われる。ぼくの中にはついつい物事を真剣に・徹底的に追い詰めてなんらかの結論が出るまで「やっつけて」しまわないと気がすまない論理癖というのがあるようなのだ。でも、いまさら言うまでもないことだけどぼくはほんらいはとてもずるくて風見鶏みたいに優柔不断で、端的に弱っちく外部要因に吹き飛ばされやすいちっぽけな人だ。でも、そんなちっぽけでせこい人なりに自分自身の本性を裏切りたくないというか、自分に忠実に生きたいとは思っている……いや、発達障害も影響してのことなのかどうかはわからないけれどたぶんぼくは自分に嘘をつくのがへたで、ごまかせないからストレスを軽減させるべく自分に嘘をつかなくてもいい時はつとめて正直に生きていて、その「すきだらけ」なところがなんだか自分を貫いているように見えているのかもしれない。どうなんだろうか。

子どものころ、先生がぼくがいじめられている光景を目撃されてそれでそのいじめを丸くおさめるためにクラスメイトたちを叱責したことがあった。一時的にそれでいじめが止んで、クラスメイトたちがぼくを称賛してくれたことさえあった。でも、それは長続きせずまたいじめがはじまった。いや、陳腐でありがちな話である。ぼくの認知バイアスがたぶんに影響した見方であり得ることも明記しないといけない。ただこのエピソードで、ぼくは人というものがいかに空気や雰囲気で動くか(明文化されたルールにもとづいてではなく、「あいつ嫌い」という共有される空気で人は動いていたわけだから)学んだんだと思う。いや、その意味ではあのクラスは過去に丸山眞男が喝破したファシズムの構図を学ばせてくれたのかもしれないな……もちろんこれは冗談だ(ごめんなさい!)。ただ、論理的に考える動機づけを与えてくれたできごとだったことは間違いない。

繰り返すと、ぼくはぜんぜん理性的でも理知的でもなくむしろでたらめで気まぐれで非論理的な人間だ。嘘つきで、情動と欲動に動かされ続けてしまっている。なんだかプリンスやジョージ・マイケルの曲みたいな話だけど、それでも言ってしまうならばぼくはただの一匹の「オス」だ。でもそんな「オス」である(でしかない)にしても、どこかで人間を目指す魂というか根性は持っていたいなあ、とも思っているのだった。