その後、午後になるもまだ気分が乗らず右往左往するしまつである。頭の中には考えのかたまりというかアイデアがあれやこれやあり、それをぼくが虚心に書き出していけばいいだけなのになんだか歯止め(ストッパー)がかかっているのかなかなかアイデアが書き出せず、きたない表現になるが便秘でもしているような感覚を覚えて気分さえ悪くなる。まず手初めに英会話教室で先生たちに提出する英作文の課題を仕上げようとしたが、いいアイデアがまったくもって出てこなくてこれまたスランプに陥る。いや、目下フジテレビをめぐって起こっているスキャンダルやさいきん図書館で借りたドナルド・トランプにかんする本(横田増生『「トランプ信者」潜入一年』)、あるいはお金をどうぼくがグループホームの方々に助けてもらって管理しているかについてなど候補はあった。だが、なぜかはまったくわからないがパンチに欠けているような気がして書けなかった。
それで、すったもんだの挙げ句ほとんど「やけのやんぱち」で今年つまり2025年のことを書くことにした。今年が英語を学び直そうと腹をくくってから10年目の節目になること……10年前、ぼくはいま起こっていることがらについてまったく予測を立てることができなかった。いまのことというのはつまりぼくがDiscordやMeWeやLINEグループなどにおいて、さまざまな人たちと英語学習や文学や哲学などのことがらをなごやかに話し合えて、趣味嗜好においてつながれるようになったということだ。10年前、まだぼくは哲学についてもなんにもわかっちゃおらず、英語についても大学卒業後酒に溺れた時期があったことからブランクがあったものだからまだまだしどろもどろでごまかしていたというのが正直なところで、そこからここまで歩いてきたのだった。そんなことをあれこれしたためた。
そうしてなんとか課題を書いたというかでっち上げたあと、中国にいる友だちに中国での正月を祝うメッセージを微信にて送らせてもらう。それが済むと、まだ7時からの英会話教室まで時間があったのでぼくがさいきん気になって買い求めてしまった本である駒沢敏器『ボイジャーに伝えて』を開き、少しばかり読む。だが、LINEで日本人が英語コンプレックスを持っていると言えるかどうかという議論を振ってみたところそれが反応を呼んで、なんだか白熱していたのでそれをしばし読み、ぼくなりに意見をしたためて過ごす。これはたぶんぼくにとっては「永遠の課題」というやつなんだろうと思う。
その後、晴れて英会話教室に赴く。その席でまず、英語でのことわざをあれこれ学ぶ。「自業自得」という日本語のことわざに該当することわざとして、直訳すると「まいた種からしか収穫は得られない」的なことわざが英語圏にあるとかなんとか。その後、ぼくたち(生徒たち)の好きな英語や日本語でのことわざを披露することになり、ぼくも苦吟して「凡事徹底」「犬も歩けば棒に当たる」といったことわざをひねり出す。あるいは、以前にロバート・ハリスの本で知ったユダヤ系の書き手アイザック・バシェヴィス・シンガーの言葉「人生は神が記す小説だ。神にまかせて書かせろ」といった言葉も出てきたがなんだかこれはことわざじゃないかなといま思って、赤面する。その後、「a」や「an」といった冠詞の使い方をあれこれ学ぶ。いつもながら学びの多いひと時だった。ありがとうございます。
