1時になり、市内の相談支援事業所の方が以前のモニタリングを経由して作られた書類にぼくの直筆でのサインをいただきたいと前に約束されていたので、グループホームの本家に赴く。その後、遅めのランチを食べて昼寝する。この日記からもたぶんありありと伝わってくると思うのだけど、がんらいぼくは自分で言うのもなんだがヒジョーにものぐさな性分なので小説の続きの執筆やいつもの英語メモをつけるとか、あるいは英会話教室の宿題なんかもこなさないといけなかったのだけど集中できず、まあ「明日があるさ」とも思ってしまいおもいっきりサボってしまった。よく言えば完全休養日として精神を休めた、とも言える。なんにせよ、そういうこともあるのである。
ぼくはさっき書いた「アリアドネ」以外の哲学系のグループとして、「アープラ」というグループにもお世話になっている。そこにおいて、午後にふとスマートフォンをチェックしたらこれまた興味深い会話が展開されており、ほかにやることもなかったので参加してしまった。他者に対して敬意・畏敬の念をインタラクティブ(つまり「相互作用的」)に向け合い、そうした敬う心をベースにしたコミュニケーションや議論を為すにはどうしたらいいかというのが骨子とぼくは受け取る。たとえば、誰でもわかるとおりTwitterにおいてはいまなお言論の「小競り合い」がさかんである。すべてを十把ひとからげに処理することはもちろん粗暴だが、ぼくからすれば大半はただの「ネットバトル」「小競り合い」としか見えない。経緯を欠いたそうした「バトル」が、ややもすると「誹謗中傷」という最悪の事態に陥ることだってある。どうしたらいいのか。ぼく自身の長いネット歴を振り返ってしまい、いまからかれこれ30年前にはじめてインターネットにタッチして佐野元春のウェブサイトをワクワクしながら開いたころにまでさかのぼる「ネットとぼく」の関係性をぼくなりに洗い直す機会となった。
フェアを期するために書けば、ぼくだって実を言うと「同じ穴のムジナ」でそうしたシビアな議論もしくは「小競り合い」に参加すべく手厳しい・クリティカルな言葉で他人をあおろう・一矢報いようとしたことも認めたい。いや、これは文字どおり「穴があったら入りたい」たぐいの赤っ恥というか恥部(黒歴史)だ。たぶんそうした赤っ恥の背景には群集心理にノセられて染まってしまい、冷徹な判断力が鈍ってしまっていたことが考えられよう。いま、なんだかんだでぼくはアカウントを保持しつつもめったにTwitterに投稿することもなくなってしまい、投稿するとしても心穏やかに他者と接することを考えてあれこれ苦吟してしまっている。そして、ぼくはコミュニケーション全般において立場を異にする相手に対しても寛容さを持つことが肝腎と自分を日々いましめている。いや、こればかりは言行不一致(ダブルスタンダード)の可能性も大いにあるし、なにせこの日記でもさんざん明かしてきたががんらいぼくは「気分屋」で「気まぐれ」、「瞬間湯沸かし器」的なメンタリティを持つ身なので苦労していることもまた事実である。
夜になり、アジの南蛮漬けをいただいた後そうした日中のディスカッションを思い出しつつ林志弦『犠牲者意識ナショナリズム』を繙いて再読にふける。少しばかり読み(あらためて、これは実に力作と唸る)、WhatsAppを使って日本人の友だちに日本の大手テレビ局・フジテレビが未曾有の事態に置かれていることについてなどメッセージをしたためる。このスキャンダルはもともと中居正広のスキャンダルからはじまり、それがテレビ局の体質全般にまでも波及したとぼくは受け取っている。ぼくはただの野次馬でしかないが、そんな野次馬の私見を書かせてもらうならアメリカが発祥となり日本でも革命的に広まってきた「MeToo」とシンクロするところがあるのではないか。つまり、このスキャンダルがインターナショナルに注目を浴び、そこから「外圧」をとおして日本特有の旧態依然とした体質が暴かれていく、と。いや、「野次馬」の浅知恵からきた妄想に過ぎない。だが、そんなことを思ったことを記して読者諸賢のお叱りを待ちたいとも思ったのであえてしたためておく。
