単純な生活

Life goes on brah!

2025/01/22 BGM: Daryl Hall and John Oates - Method of Modern Love

今日は休日だった。今朝、これといって宛てもなくぶらりと図書館に行く。そこでなにか本をみつくろうかと思って本棚を見たところ、ズラータ・イヴァシコワ『ズラータ、16歳の日記』という本を見かける。少し前に出た本のようだが、ページをめくってみると実に面白そうだったので借りることに決める。その後、朝活の一環としてイオンに向かう(これまたいつもどおりの休日の過ごし方だ)。そこでぼくが好きなグループであるG・ラヴ&スペシャル・ソースのグルーヴを楽しみつつ、持参していた刀祢館正明『英語が出来ません』を繙き再読する。このすこぶる面白い本において、刀祢館はなぜ日本人が英語学習や英語の使用(つまり、英語を実地で話してみること)において不安を感じたり困難を覚えてしまったりするかを解こうとさまざまなアプローチを試みており、実にフットワークの軽さと柔軟な思考を見せている。ぼくもニッポンの英語学習者のはしくれ。この現象を興味深く思う。

11時になり、ぼくが日々お世話になっているグループホームの本家に赴く。そこで、今日は副管理者の方が出勤しておられたのでお会いしていろいろ話す。まず、両親から譲ってもらったカバンを受け取る(お下がりだが、見たところ高級感のあるカバンでありがたく思った)。その後、昨日から始まった英会話教室のことなど(昨日この日記で書いた『刑事コロンボ』のこともふくめて)や、俗に言う「ジブン時間」をどう心地よく思いどおり過ごすかなどを話す。そんなことをひとしきり話した後その副管理者の女性から「いつからいまみたいに英語学習をはじめたんだっけ」と訊かれて、ぼくなりにこと細かく思い出そうとした。それはちょうどいまから10年前、元ジョブコーチとはじめてこの町の古民家カフェでお会いして、そこから英語をお見せしたらお褒めの言葉をいただいた。それがはじまりだった。10年ひと昔とはいうが、そんなに時間が経ったのか……。

そんなこんなで正午になり、ローソンで買い求めた弁当を食べたあと昼寝をする。その後、さっき書いた刀祢館正明の本の続きを読む。ニッポン人として、10年英語を学んできたとはいえそれでもいまもってなお英語でのコミュニケーションには難を感じる。「なめらか」というか、「スムース」なコミュニケーションができない主な理由とはなんなんだろう、とあれこれ考えたりもする。少なくともぼくの場合はたぶん、まず思い浮かぶこととして自分の意見にどうやって自信を持つべきか(英語で語る以前に、母語の日本語でこうやってあれこれ考えている時点でも)なかなか見当がつかないことかなあ、とも思ってしまう。

いや、絵に描いたような「カンペキな」というか「意識高い」意見なんてべつだん持つ必要はないともぼくは思う。自然体でやわらかに・柔軟に自分の意見を語ればいい(もっとも、この「自分の意見」というのが実にクセモノなのだが……これについてはまた考えたい)。ときにはユーモアのセンスをスパイスとして交えつつ、直接的に思いの丈を英語でぶつける。「中居正広のニュースは海外ではどう報じられているの?」とか、「ガザ地区のこと」「トランプの大統領就任」、はたまたポップカルチャーの話など切り口はあるとも思う。ぼくは自分の意見が完璧だと思ったことはない。そんなことはゆめゆめ考えるべきではなかろう。でも、ただ思うことを思うようにシェアしたいと思うだけだ。そこから対話をはじめたい、と。

そんなこんなあって、刀祢館の著作の再読が終わったあとDiscordで知り合いになったブラジルの方が送ってくださった英語の短編(あるいは長編のプロローグ)を読みふけり楽しむ。そして夜になり、断酒会の例会に行く。そこにおいて、先日金曜日の両親との食事のことを体験談として話す。その後はグループホームの自室に戻って回鍋肉をいただいたりして、そしてDiscordでチャットをしたりマーク・ピーターセン『日本人の英語』をパラパラ再読したり、つまりはとくにテンションも上げずまったり過ごして終わった。