いつのころからかともあれはじめてしまったこの日記においてこれまたさんざっぱら書きつづってきたが、ぼくも実は発達障害者でありそれなりにシビアな生を支援制度に頼りつつ生きて、なんとか暮らしている。困難は山のようにある。慣れきってしまったので、むしろ困難がない人生なんてもう想像できなくなってしまった。浴びるように酒を呑み、車を運転できず集中力も続かず雑談もできない自分をさんざん痛めつけたあの日々のことを思うと、あらためて遠くまで来てしまったなと思う(いや、いまでも不意に生じる飲酒欲求には気をつけないといけない)。「ぼくたち」は時に「天才」「職人」「スペシャリスト」と呼ばれたりすることもあるようだ。なんにせよ、「ぼくたち」の(時に病的にこじれることもある)こだわりがそうした形容を許すのかもしれない。あるいは、そうしたこだわりにプロ意識(プロフェッショナリズム)を見出す人もいるようだ……とかなんとか書きなぐってきたが、ぼくはどうなのか。ぼくの場合、たぶんぼくにも(「ごまめの歯ぎしり」的なものとして)プロ意識ないしこだわりはあるかもしれない。ある種、ぼくのライフスタイルを形づくっているものとして……いやでも、いざ「お前はなんのプロのつもりなんだ」と訊かれてしまうと黙るしかないのだが。
午後になり、昼食として弁当を食べ終えた後に今夜行う予定のプレゼンテーションのことをいま一度考えた。タイトルを「ぼくの修行時代」とした(パブロ・ピカソにあやかって「ぼくの青の時代」と名付けてもよかったかもしれないが、美術のことはまったくもってトーシロなのでやめた。ただ、Discordの日英言語交換のサーバで「My Apprenticeship」というぼくの案がストレンジに響くことを指摘されたことも覚えておきたい)。仕事が終わり、部屋に戻って夕食を摂ってからいつもの時間にZoomで毎週木曜恒例のミーティングを始めることとなった。
ぼくのプレゼンテーションは主にぼくが20歳だったころのことを語った。今年50歳になるぼくが、いまから30年前の1995年にどんなことを思って生きていたか。阪神・淡路大震災が起こり、東京に住んでいたぼくにもそのニュースは(関西、とりわけ兵庫県で生まれ育った者として)深刻に響いたことを思い出せる。奇しくも明日17日はその震災から30年が経つのだった。それ以外にはオウム真理教事件(とりわけ、東京在住者として地下鉄サリン事件)が思い出される。そのオウムをめぐる報道のさなか、ぼくもそうしたカルトと呼ばれる人たちの恐ろしさ(ひいては、この国で宗教を信じることというか世俗と距離を置きつつ「よりよい生」を生きたいと願うこと)について、あれこれ考えたりもしたのだった。プレゼンテーションの草稿を事前に書けるゆとりもなかったので、しどろもどろになりつつもなんとかぼくの考えを発表し終えた。
その発表の一環として、ぼくが好きなスチャダラパーの曲「ボーズ Bar 〜『Yo! 国際 Hah』の巻〜」について語らせてもらった。そのリリックはいわゆる「国際派」気取りの俗物たちをこき下ろした毒の効いたものでいま聞いても充分凄味を持つものだ。そこから、参加者3人がもっぱらそうした「国際派」の概念(つまり「グローバル化」)についてあれこれ語らう。ぼくはいつも書いているが、兵庫県内のとある市にある会社に務めるしがない発達障害者に過ぎない。強いて言えば英語学習者の顔を持っているとは言えるが、そこからこうしたミーティングでつねづね他のメンバーの方々が見せる思慮深さや成熟した態度に多く学ばせてもらっている(いや、お世辞ではなく本音です)。なんとか今日も無事発表を終えた。ありがとうございました。
