そのファシリテーターの方の意見を手短にまとめると、ぼくたちはその英語をけっして受験英語やその他資格のための英語として学ぶのではなく(もちろんそうした英語も立派な英語であるにせよ)、こうした場で単語たちと取っ組み合って翻訳・精読するのもけっこうだが他者とコミュニケーションし意見交換をこころみる姿勢も大事ではないかとおっしゃったのだった。そうした場で臆せず、ぼくたちの持つ見解・意見つまり「日本人としてのこころ」を伝えるべきではないか、と。いただいた資料の中にあるそのファシリテーターの方の来歴や、音声として持参されたフランクリン・ルーズベルトのくだんのスピーチまでデータとして持ってこられ、披露された。実に念入りに用意されたファシリテーションだと感服する。ご存知のようにぼくの基本的な政治的立場はたぶん(自分では「ノンポリ」そのものだとも思っているのだけど、それでも)いざという時は「リベラル」「左翼」なところが顔を出す。そのファシリテーターの方とはその意味で見解を異にする(たぶん水と油かとも思う)。でも、それでも心の底から正直に・本音として思うのはその方が英語の研究・勉強において見せてこられているそんな誠実・献身的な態度が実に鬼気迫るものであることだ。それを小馬鹿にしたり冷笑したりすることはぜったいにすべきではないと唸らされた。
そうして唸っていると、ふと顧問を務める先生が「どう思われますか。若い方として、意見があればおっしゃって下さい」とおっしゃった。とつぜんのことで戸惑い、いったいどんなことを答えるべきか口ごもる。でも、心の底から思っていたことを臆せず話すことこそ最大の礼儀と思い、自分なりに言葉を発していく。なんだか大西巨人『神聖喜劇』の登場人物ばりにどもったり言い淀んだりしつつ「あの……実はぼくは世代的には湾岸戦争の際の議論とか9.11(アメリカ同時多発テロ)なんかを思い出すんですが……」と切り出す。すると他のメンバーの方々がアメリカの光と影について分析され、アメリカの覇権的な態度にも(もっぱら批判的に)切り込まれた。むろん、フェアを期するために語るなら日本だってそうした「2面性(つまり『光と影』)」を持つ。英語を学ぶことの意義をいま一度真剣に見直すべきだな、と思ってしまった。言葉を介して人とコミュニケーションを継続していくために。
そのミーティングが終わり、次回(つまり来月)のミーティングで精読する英文の資料をいただく。見たところ、かの『ハリー・ポッター』のいち場面のようだ。その後あれこれイオンで用事を済ませてからグループホームの本家に行く。そこで管理者の方と話をする機会をいただき、生活費を受け取ったあとは貯蓄のための方法や金曜日にひかえている両親との食事会のことなどを話す。その後やっとこさ遅い昼食を済ませ、そして昼寝をする。その後、実は木曜日にZoomで友だち相手にプレゼンテーションをする機会がありそのために少しばかりは用意・準備すべきと思っていてその時間をこの午後にあてがいたかったのだが、さすがに50歳まで生きてきた身体に溜まった疲れがたたってしまったのかぐったりして午後を過ごす。
そうしてのんべんだらりとした後に夕食の時間となり、その夕食を摂ってからはノートに書き込んでいたぼくの小説『ビジターズ』をパソコンに清書していく。いやもちろん、こんなことGoogleレンズを使って英語の筆跡を読み込ませて入力させれば「イッパツ」で解決するのである……だがしかし、ぼくの筆跡は実に粗く文字がつぶれていてなかなか読み込めず試行錯誤する始末。やっとこさ時間を食われつつ済ませた後は、いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』のページを繰ったりもしたのだがそれも根気が続かず結局寝入ってしまったのだった。
