跳舞猫日録

Life goes on brah!

2025/01/11 BGM: Pavement - Range Life

今朝、ここさいきんご無沙汰していた英会話関係のZoomミーティングにひさびさに参加して英語でディスカッションに興じる。今日の話題はチャットボット(ChatGPTなど)をどうやっておのおののメンバーの生活で使いこなすかについてだった。調べ物、旅行のプランの組み立て、セラピスト代わりなどなど……実はぼくはめったにそうしたチャットボットを使うことがなく、したがって正直なところ他の方々のトークにはついていけなかった。だからもっぱら聞き手にまわり他の方々が英語で語るのを拝聴するしかなかったのだけど、おかしなもので他の方々のそうした英語がじゅうぶん聞き取れる自分がいるということにこそ我ながら感心してしまい、過去にこうしたリスニングで文字どおり四苦八苦して聞き取れず、話すこともできず立ち往生していた自分を振り返ったりもしてしまった。継続は力なり、というべきか(いや、口さがない人からすれば「他のメンバーの日本人訛りがあなたにとって聞きやすいだけだろう」と言われてしまうかなとも思っちゃったりするのだけど、そんなこと知ったこっちゃないのである)。

今日は早番だった。昨日タフに仕事をこなし徒歩で職場とグループホームを往復したりしてさんざっぱら身体を酷使したこともあり、筋肉に疲れが溜まって身体の節々に違和感があることに気づく(歳のせいか、疲れがこうして遅れてドカンと「来る」ように感じられる)。いつも通りにハードに仕事をしたら肉体的にも精神的にも持たないと身の危険さえ感じ、それもあって今日は適宜休憩をはさみつつぼちぼちこなして「初めチョロチョロ中パッパ」的に徐々に心持ちを高めていくことにつとめた(つまり、ぼくなりにサボったのだった……ごめんなさい)。1時になり、いつものように昼休憩をいただく。

昼にイオンで買い求めたザンギ弁当を食べて(美味しかった)、その後ふとこんなことを自問自答する。「いまって、幸せなんだろうか」。変わったものを食べたからなのかこんなことが思い浮かんだのだからしょうがない。この人生を「これでいいのだ」と、責任持って主体的に引き受けられるか(過去に為してきた決断がこうした人生に導いたのだから)……いつもの話になるが、過去にぼくが大量飲酒にふけって毎日毎日仕事もそこそこに呑兵衛な生活をしていたころ、かくじつに惨めな人生・境遇を生きていたにもかかわらず思えばそこから出るための努力なんてしておらず、文字どおり「投げ出して」いた。自分のことを不幸で無力で、ゆえに犠牲者的な人間であるとまで信じ込んでいたっけ。いったいなんの犠牲になっていたというのか。でも、なんだかんだで酒を断ち……それと同時期にいまのNPO法人の方々とつながらせてもらい、断酒会や自助グループともつながり、いまはそのつながりがぼくを前進させている。かくじつに向上した人生を送れている。

その後、少しばかり時間もあり前にもちょっと書いた明日に控えている英語研究会の会合のための英文のテクストを読む。忌まわしい真珠湾攻撃の直後のフランクリン・ルーズベルトの歴史的な演説のスピーチの文字起こしの英文だ……実は、まさにいま(1月12日早朝。日本時間において)これを書きつつ思い返す。昨日(つまり11日)、たぶん疲労困憊して眠りたいとも思っていたからなのか、なんだかそうした英文精読もはかどらず仕事は上に書いたとおりのありさま。Zoomミーティングもいつもの英語のメモもなんだかシャキッとしない成果で、だからなのかアンリアル(非現実的・空想的)な、ニーチェもどきの「この生を未来永劫祝福・許容できるか」なんて(なんちゃって)なことに思いがおよんだのかもしれなかった。今日の日記がワンパターンな内容なのもそのせいである。

なんとかなんだかんだで仕事も終わりをむかえ、グループホームに戻る。夕食はハヤシライス。そしてくつろぎ、小説のつづきを優雅に書くべきかとも思ったりしていたのだけれどなんだかハヤシライスが眠りを誘引したのかはやばやとウトウトしてしまい、できずじまいだった。ああ、なんてこったい!!