跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/12/17 BGM: The Chemical Brothers - Hey Boy Hey Girl

今日は早番だった。今朝、いつものようにZoomでの英会話関係のミーティングに自分なりに精を出す。今日の話題はなんでも「Brain Rot(訳すと『脳腐れ』となろうか)」なる言葉が海外で話題となっているそうで、それについてひとしきり話し合う。SNSYouTubeなどをダラダラ眺めることに淫している時に感じられる、脳が腐ってしまうようなそんな感覚を現した言葉なのだそうだ。そこから、各人がそれぞれの自分時間をどんなSNSYouTubeのチャンネルなどを見て費やし・楽しんでいるかについて話し合う(ぼくもなんだかんだで実におしりが軽いので、mixi2も誘われるがままにホイホイ登録してしまった)。この「Brain Rot」はたしかにぼくも実感としてよくわかる言葉だ。手持ち無沙汰なままダラダラと自分の時間を湯水のごとく浪費することには自堕落な快楽さえともなうと思う(たしかに、脳がそれこそ「腐る」というか「発酵する」のを感じる快楽というのもあるかなあ、なんて)。でも、日本ではその一方で「タイムパフォーマンス」を重視しそれこそタイトスケジュールを目指してキビキビ・無駄なく生きることに精を出す人もいたりする。だから、そのタイトな過ごし方とこの「Brain Rot」の概念と照らし合わせると面白いものが見えてきそうだ。

ミーティングが終わって、職場に赴き今日の仕事をはじめる。仕事に入る前、職場のトイレで小用を済ませている際にふとあの難解きわまりないマルティン・ハイデガーが『存在と時間』なんかで喝破した思考を文字どおり「まるっと」理解できたような気分に陥る。もちろんそんなことあるわけもなくすべてはただのよくある錯覚に過ぎなかったのだけれど(ひと口で言えば脳の「バグ」「誤作動」だ)、ともあれそんな感じのバカげた錯覚について「ぼくもまだまだ修業が足りないなあ」とあれこれ考えているうちに思い出したことがあった。というのは、ぼくが過去に大学生だった20代のはじめのころ、実を言うと当時は哲学についてぜんぜん・まったくもって関心を持てなかったのだった。いや、正確に言えば物見遊山で柄谷行人蓮實重彦なんかをめくってみたことはあるが(『必読書150』や『探究1』、『逃走論』や『存在論的、郵便的』『斜めから見る』なんかを読んでみてさっぱりわからずメゲたこともあった)、当時熱心に論じられていたドゥルーズデリダについても「なんかものすごくむずかしいんだろうな」「フランス語もできないし、わかるわけもないだろう」と最初から敬遠してしまっていた。40になり、元ジョブコーチとお会いしたあとにその方からぼくの考え方が哲学的と言われ、それでそれ以前から宮台真司保坂和志田中小実昌なんかをつまみ読みして哲学的な考え方に惹かれたりしていたのでウィトゲンシュタインのガイドブックなんかを自分なりに紐解くところからはじめていった。

40になる前、つまりそんな「深い(?)」本を読みはじめる前……とりわけ20代、さっきも書いた柄谷・蓮實や東浩紀以外にも永井均中島義道土屋賢二なんかを読んだりして、彼らはもちろん(いや、なんらイヤミなんか込めるつもりはなくマジで書くが)興味深い・深遠な言葉を記していた。そこから学ばされたこと・いまでもぼく自身役立てられている知識はある。でも、それらはぼくを救ってくれる言葉ではなかった。ぼくの脳みそが古くさいからか、現代的でキャッチーな哲学よりはサルトルカミュなんかの実存主義ハイデガー存在論ウィトゲンシュタイン的な言語哲学に惹かれるのかなあと思う。いや、もちろんぼくはさっきも書いたがしょせんはしがないトーシロであって逆立ちしたっていまからドイツ語やフランス語をやる気力もなかったりするのだが……なんにせよ、ぼくの中には「子ども」の哲学的なマインドと青春を生きる苦悩がまだフリーズドライされたままで残っているのかなとか思ってしまったりする。

夜になり、英会話教室に赴く。今日が今シーズン(あるいは今年いっぱい)の最後のレッスンで、今日は特別授業としてクイズやゲームを楽しむクリスマスパーティー・タイムを過ごすこととなった。スナックやソフトドリンクを片手に、ワム!稲垣潤一山下達郎なんかのクリスマスソングの名曲を楽しみつつ、英語でおしゃべりする。元ジョブコーチとの出会い以前、まだ英語なんて学んでおらずそれどころか生きる気力もさっぱり消え失せて、毎日毎日「なんで生まれてきてしまったんだ」「どこで間違ったのかなあ」と思って毎日毎日泣き暮らしていた時期があったなと思った。ヴェイユ重力と恩寵』や二階堂奥歯『八本脚の蝶』なんてめくってみたりして……でも、あの出会いがあり、英語を学び直し哲学に徒手空拳で取り組みはじめて、そんな感じで今がある。それは疑いようもなくぼくにとってとてもかけがえのない・神聖なできごとだった。そんなことだって起きるのが人生だ。