跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/12/02 BGM: The Soup Dragons - Lovegod

今日は早番だった。今朝、Zoomでの英会話関係のミーティングに参加する。今日の話題は近年の就職活動の現場についてで、他の方々と自分自身の時代はどうだったかそれぞれ話し合う一幕となった。各人がそれぞれの体験談をシェアし、そしてぼくの番になったので気負わず飾らず、ありのままにこのロスト・ジェネレーションのぼくの話をする。ぼくの場合、過去を振り返ってみればとてもひどい時代だったとしか言いようがない。日本がバブル経済という未曾有の好況のあとのどこまでも続く大不況を経由せざるをえず、したがってたいていの会社は求人を縮小する傾向があったからだ。それに加えて、ぼくは発達障害者であるがゆえに自分自身の障害について働く際はケアしないといけない。だから就職できるところも限られてくる。ああ、なんて人生だ。

ある参加者の方が、いまぼくは自分自身の仕事を気に入っていると言えるかと訊かれた。とても予期せぬ、答えるのがきわめてむずかしい問いである。だがなんとかつたない英語を使って答えた。いまは、自分の仕事・職にそれなりに満足行っていてやりたいこともできて、会社から自分をまっとうに評価してもらえている手応えがある。もちろん不条理な目に遭うことも山ほどあるし、もっとお金はほしいけれど……その後、イオンに行き朝活の読書に励まんとした。だが仕事前のプレッシャーのせいかぜんぜんはかどらない。しょうがないのでさじを投げて、まったくもってなんにもできずただ「投げ出して」いた自分自身の前半生のことを思い返してしまった。

日本語のスラングの1つに「親ガチャ」というものがある。説明の必要はないだろうけれど、つまりは生まれてくる親が選べないことを運試しのゲームになぞらえたものだ。ぼくたちの人生とは運というもっとも残酷なエレメントによって左右される……そういうものだろうか。過去、ぼくは自分がほんとうに惨めったらしい・不幸のヒーローだと信じ込んでいた時期があった。発達障害のせいで美しい・人並みの人生なんてまず望めず死ぬまで生きづらい思いと無縁ではない、というように。

午前中はもっぱらそんな考えにふけってしまった。男であり、発達障害者であり日本人で……とたくさんのアイデンティティ構成要素が自分の中にあることをまず吟味する。いくつかは変えようがないものであり、避けようがなかったものでもある。だから過去、ぼくは無力感にさいなまれて絶望し独りぼっちで生きないといけないとまで思い詰め、そこから酒に逃げるしかなかったのだった。タフになり、独りぼっちで生き抜かないといけないとまで……いまはもっと自分の人生を「ゆるく」「まったり」と生きられるようになったと自負する。そのゆるさは友だちが増えて交友関係がセーフティネットのように機能していると思えるからだ。いやもちろん、これでもっとお金があれば……なんて考えなくもないにしても。