跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/11/25 BGM: U2 - Stay (Far Away, So Close!)

なにもかもすんだことであるにせよ、そしてできることはやり尽くしてしまったのだからあとはあきらめて「人事を尽くして天命を待つ」の精神で日にちが解決するのを待つしかないにせよ、心の中の傷は痛み続ける。ああ、あんな大胆なことをするべきではなかったのだろうか。決断して行動する前に、自分のプランを信頼できる方々に話して指示をあおぐ(というか諫言を待つ)べきだったのだろうか。実は、いまだにこのことについては整理がついていない。この感情というやつ。ぼくの中で感情は狂おしく動き、こんな自己破壊的というか向こう見ずなことをさせてしまう。こんな感情を持つべきではないのか? なんにせよ、そんなふうに人生は過ぎていく。

今日は休日で、通院日だったので今朝は病院のドクターと面会して毎月恒例の面談と薬の処方。その後、障害者手帳の更新手続きのための書類の書き方でわからないところがあったのと、それに加えてさっき書いた苦悩を吐き出す必要があったこともあって(叱られるならきっぱり叱られようとさえ思ったりしたこともあり)、グループホームの本家に行きそこで副管理者の方とお会いする。まず、先ほどのドクターのことや障害者手帳のことを話す前に自分のプライベートでの上述した話を吐き出す。毒々しい話だったと思うけれど、その方はそんなバカげた話を受け止めてくださった。そして、はげましてくださった。それがとてもありがたいと思った。

その方のガイダンスにしたがって書類を書き終え、その後インフルエンザワクチンのことなどあれこれ話し込んでから市役所に行きそこで障害者手帳の更新をなんとか、すったもんだありつつも完了させる。弁当を食べ、その後はもうなにもする余力もない。まず深く深く昼寝したあと、なんら創造的なことというか有意義なことをこなす余裕なんてあるわけもないのでただのんべんだらりと過ごすはずが、気がつけば三島由紀夫仮面の告白』の残りを読みふけっていた。噛めば噛むほど味が出る作品で、こんな作品を読むと自分も「告白」を書きたいと思う……って、昨日も書いたな。三島のような華麗なものは逆立ちしたって書けるわけがないにせよ。

夜になって、九州に住む年若の畏友がWhatsAppでこんなおもしろい情報を教えてくれた。ある日本のデパートメントストア(?)が、今年は「メリークリスマス」の代わりに「ハッピーホリデーズ」という言葉を使うようになったようだ、と。面白い話だ。日本においても、こうして(もっぱらぼくのような、クリスチャン以外の人たちへの配慮だろうか)宗教色の薄い言葉を使うことでより多様性を発揮した、包括的なクリスマスを実現させようとしているのだなと思う。この小国においても強いメンタル面でのプレッシャー(同調圧力?)がいまだ働き、クリスマスを恋人と一緒にという雰囲気が作られていて「クリぼっち」を楽しむしかないぼくとしては肩身も狭く、「ずいぶん非寛容的だなあ」と複雑な思いや怒りにとらわれていたのでこの現象は面白く思う。いや、その話をし始めたらそれこそ思いっきりズレて・脱線してしまうが。

なにはともあれ、そんなふうに考えると容易に見られるとおりムードというのは変わっているとも思った。ぼくは「ハッピーホリデーズ」という言葉を使うことに異論はない。だが、皮肉というかあてこすりに聞こえるかもしれないけれど、なんだかなじんで新鮮味が薄れてしまった「メリー・クリスマス」に珍奇なラベル「ハッピーホリデーズ」を貼って人の消費・購買意欲をあおり立てるだけに終わりはしないか、それが心配でもある(これも恥を忍んで言えば、過去「恋愛資本主義」と呼ばれる概念の批判に没頭した過去をぼくも持つ)。いや、それでもいいと言えばいいんだけど、でもせっかくのぼくのようなたわけ者でさえ敬虔な気持ちになれるシーズンなので……。