そのあと、話の流れでその副管理者の方にさいきん経験せざるを得なかった何件かのトラブルについて(とりわけ、この日記でも少し書いた職場でのできごとについて)お話しする。その方は熱く、きわめて正直にその方の人生経験からくる意見を授けてくださった。この日記で過去に書いたことをまたなぞり直すが、30代のころのぼくは当時いまのグループホームを運営する母体のNPOともつながらせてもらっておらず、両親と暮らしてはいたものの仕事のことは打ち明けづらくそれゆえに独りぼっちな孤独感を持て余しており、それゆえに完全に見放されたような気分に陥るしかなかったのだった。それで、最終的になにもかも「あきらめ」「さじを投げ」、人生を終わらせようとした。その副管理者の方の薦めとして、そんなころの自分がどう孤独でありちっぽけなものであったか見つめ直し、当時の自分をいたわりつついまここにいる自分を誇ること、愛して大事に扱うことを教えてもらった。
思い出す……その当時、たしかにぼくは孤独でさまよえる独りの発達障害者、傷つき膿を吐き出す心を抱えた男であってそばに誰もいないと勝手に思い込み、そして絶望していたものだった。だが、両親ともグループホームの入居が縁で距離ができたことが功を奏し関係性を見つめ直すこともできて、ジョブコーチとの出会いで仕事内容もメスを入れることもできて、他にも英会話教室やDiscordなどでつながり(むずかしく言えば「知遇」)を得られることとなった。いま、さまざまな人が周りにいるのを感じる。友だちと呼ぶことにももう抵抗を感じない。いろんなことがこうして少しずつ着実に、パタパタと変わっていくのだなと思う。
午後になり、昼食を摂ったあと眠り込む。その後、町内の図書館を訪れてそこでかねてより気になっていた八木沢里志の小説『森崎書店の日々』を探す。実は、以前にclubhouseというアプリにハマっていた頃にその縁で知り合うことが出来ていまはもっぱらWhatsAppでつながらせてもらっているインドネシアの女性の畏友が、この本の英語版を読んでいたく感動したので薦めてくださったのだった(この本は海外でいま、熱く注目されていると知った。そんなことまったくもって知る由もない)。それで結果から言えば図書館にはこの本はなく、なのであきらめて買うかどうにかして読むしかないみたいなのでさっそくAmazonか近所の未来屋書店をチェックすることに決めた。その代わり、面白そうな本を見かける。デヴォン・プライスという書き手の『自閉スペクトラム症の人たちが生きる新しい世界』という本でこれは読むしかないと思って借りることに決めた。その後、時間はあったのだがなんらはかどらない。読書もチャットも、惰眠をむさぼり直すこともなんら手につかず、だから来週木曜のプレゼンテーションの資料を手直ししてホストの女性に前もってお送りしたらあとはもうなにも手につかないまま終わった。そんなこともあるのだった。
夕飯を食べ、毎週木曜恒例のZoomミーティングに参加する。今回のプレゼンテーションは、星空や宇宙についての講話が前半部でその後さまざまなNHKの朝ドラ(とくに『カムカムエヴリバディ』について)のお話が後半部だった。両者から見えてくるものとして、こんなぼくのきわめて狭苦しい半径5メートル程度の生活圏を超えた時空がこの現実世界にはかくじつに広がっているという事実ではないか。手が届かないところにある星空や、『カムカムエヴリバディ』で(いや、ぼくは恥ずかしながら観たことはないのだが)ラジオの英会話を楽しむ営為に潜んでいるラジオを通した人々のつながりや熱意。そこには時空を超えた伝統や想像力の広がり、現実の広がりといった確実にこのぼくの個体・個人性を超えたものがあるという、そんなことが言えるのかなとも思った。その後はなにもせず、ただスマートフォンをいじったりこんどDiscordの英語関係のサーバで発表するクリスマス企画の英文の案を脳内で練ったりして過ごした。