いま、ぼくの態度はその意味では左翼気取りの小僧だった頃からあれこれグネグネ・ゴキゴキねじれたり折れ曲がったりして変遷し、たぶんいまでは保守主義者と呼ばれるものになったかもしれない。ぼくの理解では(だから誤解・間違いもたぶんにあると思うが)そうした保守主義というのはさまざまな伝統を重んじ、そこから抽き出しうるさまざまな人知・集合知のエッセンスを尊重し、守りつつより良いものに徐々に改良・微調整して未来に受け継いでいくというものと受け取っている。その意味ではぼくもドラスティック(劇的)に変わったとも言えるが、ならこんな考えの変化はどのようにして・いったいなぜ起こったのだろうかと考えたりする。たぶんそれはぼくが自分の皮膚感覚で体得した生理的な次元の理屈によるものかなと思う。当たり前のこととして、伝統的な建築物(お寺や神社、あるいは一見するとありふれた民家など)や文物(たとえば、今日ぼくが買った江藤淳『決定版 夏目漱石』の文庫本)、あるいはぼくがこうして染まって使っている豊満な日本語という肥沃なソースがぼくにとってはそうした、尊重すべき「伝統」である。
別の言い方をするなら、ぼくは過去にこの国はただの無意味・無価値の固まりでしかないと高をくくっていたりもしたのだった。まあ、ありがちな話で欧米がなんでもかんでもすんばらしくて日本は何周も遅れていると決め込んでいたのだ(まだインターネットもなく、そんな「欧米」の情報をリアルタイムに知る術も持たなかった時期の話だ)。そんなぼくが変わったのは40になり、友だちもでき始めてそんな彼らと切磋琢磨して英語の学習に手を染めたことで人間的に成長というか変化というか、そういうのが確実に始まったからでもあった。いまのように「鍛えられた」と言えるのかもしれなかった。あとは断酒会や自助グループでの活動によってそれなりに人と折衝しコミュニケーションのスキルを磨けたからかもしれない。
夜になり、仕事を終えて英会話教室に赴く。今日のクラスではビジネスで使う公的な(フォーマルな)Eメールを英語でどう書くかという話題と、それに付随してカジュアルな英語でのおしゃべり・テキストメッセージについて。それに加えて、ぼくたちはそれぞれの「ドリームジョブ(つまり、夢見ているあこがれの仕事)」についてシェアし合ったりした。ぼくは英語を学び続けているのは、最初はたんに英文学を学んだその「昔取った杵柄」というくらいの目論見しかなかったのだがいまはこの市で働ける立派なボランティアとしての「ガイド」「通訳」になれたらというあこがれを持っている。いや、もちろんいまの仕事も続けたい。いまはそんなダブルワークが可能な時代だと確信している……過去にぼくは村上春樹を信奉・崇拝し、この国の伝統的な文学(それこそ夏目漱石や谷崎潤一郎や三島由紀夫)をすべて十把ひとからげに古臭いと思い、破壊したいと思っていた。でも、いまは違う。ああ、人は変わるんだなと思う。