跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/10/30 BGM: スチャダラパー - ボーズ Bar 〜「Yo! 国際 Hah」の巻〜

昨日、実を言うと英会話教室の後に夕食を済ませてから少しばかりベッドで横になってうとうとするつもりが思った以上に深く寝入ってしまい、そのせいで2時頃目が覚めてしまい、そして二度寝することもできずにたいへん困ってしまった。頓服の眠剤を飲むと眠気が残るかもしれないとも思い……しょうがないので、早すぎるにせよ昨日の日記をいつものようにあれこれ書く。その後、Discordで何人かの友だちと英語でチャットをしたりしちゃったりしてダラダラ過ごす。これを読まれている方々からはどう映っているかわからないのだけれど、少なくともぼく自身の主観から見ればぼくは自分の感情や感覚や意見といったものを言い表す際は英語の方が日本語よりも向いているのかな、と思っている。

ただ言うまでもなく、こんなことを口走っているからといって英語が日本語よりも論理的だとか本質的に優れているとかそんなことを言いたいのではない。きれいごとに聞こえるかなと思うが、ぼくの立場は言語間に本質的に優劣は決められないと思っているというものだ。ただ、英語の表現がぼくの中の本能的な・システマティックな思考回路と「ハマって」いるとは言えるかなとは思う。与太話の域を出ないにせよ(エビデンスを示すこともできないので)。そんなだから、村上春樹片岡義男やあるいは沢木耕太郎といった英語を直訳したような端正な(相当に理屈っぽい)文体に惹かれるのかな、と思う。

そんなこんなで10時になり、市内の図書館や隣町の図書館であれこれ本を見繕う。村上春樹ダンス・ダンス・ダンス』が目当てだったのだけど、そこで面白そうな・実にある種物議を醸す危険さが「匂う」本を見つけた。前々から興味を惹かれていた著者のベンジャミン・クリッツァーの新刊『モヤモヤする正義』で、いま起こっているさまざまな現象について「斬った」「ねばり強く分析した」1冊と見た。たとえば「キャンセルカルチャー」や「トーンポリシング」、「マイクロアグレッション」といった現象だ。彼の意見・見解がどうこうした問題にたいして刺激的に響くか。それを読み進めていきたく思ったので借りることにした。

その後昼食を摂り、1時を回って約束の時間になったのでグループホームの主屋に行く。そこで、ある調査のために必要ということで市役所から来られた調査員の方と面談をする。グループホームで暮らしはじめてからどう過ごしてきたか、どう悩みを抱えてどう乗り切っているかといったことをその方の質問に応じて話す。ある意味インタビューのようで、だがその方のやわらかい雰囲気に誘われてあれこれ話す。正直に、できる限りこまかく。その後そこに同席しておられた副管理者の方に褒めていただいた。たどたどしく答えただけだったけど、伝わるものがあったのだとしたら嬉しいと思う。

その後、晴れて時間も空いたのでさっき借りたクリッツァーの本『モヤモヤする正義』をブライアン・イーノ坂本龍一アンビエント作品でも聴きつつ読もうかとか思ったのだけど(我ながらスノッブですね)、おそらく今朝の睡眠不足がどこかでたたっており心の平安が乱れてしまっていたこともあってかぜんぜんやる気も出ず集中もできず困ってしまう。本は言うまでもなく掛け値なしに・べらぼうに面白いのでこちら側の問題である。なので、イオンまで行ったのにグループホームにとんぼ返りで戻ってベッドに横になり、な~んにもしないでダラダラ・のんべんだらりと過ごす。そうしているとまた眠ってしまい、結局鬱な気持ちを抱えたまま夜が更けたのだった。ただ身体が疲れ・くたびれはてていたせいなのか。だから無気力になってしまい、身体から発されるメッセージに服従するがままになってしまったのか……これがくたびれた中年の人生なのかなあ、とかなんとか。