ぼくの事例を我田引水、かつ夜郎自大的に語るならばいまはぼくは自分の英語能力を実存というかぼく自身の存在価値から切り離して考えられると自負する。つまり、たとえるならぼくより「ペラペラ」な人、ぼくよりいまでいうところの「コミュ力」を持ちえる人がいても(いや、そういう人はそれこそ「ゴロゴロ」いるはずだ)それを以て自分が劣っているとか存在価値がないとか短絡して考えたりはしない。ぼくにはぼくが認める存在価値がある。一方でコミュニケーションの能力は残念ながら劣っている。これは矛盾しない……だが、いまから10年ほど前だっただろうか、いまのように英会話や英語学習をおっかなびっくり・押っ取り刀ではじめたころはアホだったので排他的な考えがあり、とにかく「ペラペラ」にならないといけないとか流暢に喋れないと「国際人」にはなれないとか、他人を圧するスキルがないといけないとか考えたりもしたのだった……いや、こんなことをこの本が書いているわけではない。いったいなぜこんなことになったのか。このコンパクトだが実にあなどれない本を読み込み、もっとこの問題を考えてみたい。外は雨模様で、それもあってかプリンスの至高のグルーヴィーな名曲群を聴きつつ読書にのめり込んでしまった。
7時になり、今季(ハロウィンとクリスマスの時期)最初の英会話教室が無事はじまる。最初に2人の先生方がぼくたち生徒たちに向けて自己紹介を行い、その後ぼくたちも自己紹介の席を設けられ英語で自由闊達に話す。名前や所属(ぼくの場合は勤め先、あるいはおおまかな住所)、あるいは趣味など。それも尽きたのでなぜ英語を学ぶのか、どうやって効果的に英語を学んでおられるのか、などについてもあれこれ訊き込んでしまったりした。
上に書いたように、今日のレッスンの主な内容はそうした自己紹介(イントロダクション)に加えてアメリカのハロウィンについてが主だった。「トリック・オア・トリート」の意味やどんなコスプレが楽しまれているか、どんなキャンディあるいはチョコレートが売れているかなどが話される。実に得難い、面白い内容だった。帰宅後今日の内容を振り返り、『英語ヒエラルキー』の内容も鑑みて自慢や自虐にならないように、マウントを取るだの取らないだのといったセコい話にならないように意見交換・意思表示をしていきたいな(もっと屈託なくそんなふうに、飄々とできるようになったらいいな)と考えてしまった……。
