跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/10/25 BGM: Pet Shop Boys - Liberation

今日は遅番だった。今朝、例によってイオンで朝活の読書の一環としてこれまで読み進めていた三木那由他の最新刊『言葉の道具箱』を読み終える。その後、本の内容に自分なりに沿うかたちでぼくたちの言葉というものがいかに謎めいた、すばらしい魅力をその中に内包しているものなのか、そんなことを(素人考えで)あれこれ考えていると時間が過ぎてしまった。どうこの本から感銘を受けたか、それについて語るのは非常にむずかしい。また折に触れてこの本の議論や考え方はなんらかのかたちで紹介したく思うけれど、語ろうとすると結局ぼくの語彙力では陳腐な「コミュニケーションは謎めいた、ミステリアスなものだ」という話に落ち着いてそれで終わってしまう。文字や音や、あるいはもしかしたらそれ以上の要素を使うだけでぼくたちが持っている込み入ったアイデア・意図を伝達できる。これはミステリアスではある。だが、同時に実に普通であたりまえのことでもあるだろう。この「ミステリーだけどあたりまえ」の中にぼくは「なんと奇跡的なことだろう」と感じることをしばし止められなかった。

三木那由他のこの本だけに限らず、たとえばそれこそぼくがこれまで(理解できたとは口が裂けても言わないにしても)読みふけってきたウィトゲンシュタイン柄谷行人などと向き合ってきた際にぼくは本の中に内在する中身をそのまま記憶しようとしたり、論理・ロジックを丸ごとコピー(猿真似)しようとあがいたりもしたことがあった。いや、真似事から始まる創造も一般論としてありうると思うのでそれがまったくもって間違っているなんてことも言えないだろう。だが、幸か不幸かぼくはそんなふうに丸暗記・追従するにはあまりにも発達障害的・注意欠陥的な人間なのでADHD的な心を脇において静かに本を読むなんてことがとうていできないのだった。言い換えれば、ぼくは誤解・誤読を山のようにこさえてケアレスミスにおののきつつ読み続けて、そんなぼくのゆがんだ考えを満天下にさらすのが関の山なのかなあ、と。いやそれはもちろん開き直りになってはいけないわけで、批判は甘んじて受け止める覚悟だ。

昼下がり投票所が開いたので(事前に届くはずのハガキが届いていなかったので窓口で少しばかり手こずったが)、期日前投票を無事済ませることができた。この国・自分たちの未来を細かく考えようと試みてあがけばあがくほど、未来の不透明さ・カオスさに打ちのめされそうになる(冗談でも皮肉でもなく、ぼくは明日のこともいまから1時間後のことも見通しがつきにくい)。たった1票にそんなにすごい・強い力が内在していてなにもかもを変えうる可能性をも備えているのだろうか。そんな「青い」疑問もぼくは捨てされない。でも、せっかくの機会だ。白票を投じるよりは(ぼくは棄権ですら一種の意思表示であることを認めるにしても)、個人の好みの次元でなんらかの「ぼくの意思表示・態度表明」をしておきたいと思った。

今日、職場で新しいジョブコーチの方とまた面談の席を設けてもらう。そこでぼくの仕事について話し合った。その新しい方とは2度目の面談ということで、最初にぼく自身の自己紹介や来歴をあれこれ話す。いまの会社で25年かもっと働いてきたこと、英語を学ぶこととジャズを聴くことが好き、といったことだ。おだやかな、柔らかい感じの方だったので信頼させていただきたいと思った。