跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/10/07 BGM: RCサクセション - トランジスタ・ラジオ

今日は遅番だった。今朝、英語研究会の課題の書物であるロアルド・ダール『マチルダは小さな大天才』の原書の続きを読み進める。子ども向けとあなどっていた自分を恥じなければならないな、と強く思う。実にすばらしい、機知に富んだ作品であえて横文字で言えば「チャーミング(魅力的・魅惑的)」であるとさえ思う。読みながら、主人公の「小さな大天才」マチルダに魅惑され共感を禁じ得ない。いや、これはでもマチルダや彼女に共感を覚えるほんらいの読者層の子どもたちからすれば滑稽きわまりない話でもあるのではないか。端的にぼくはそう賢くもないし若くもない。ただのおっさん、いやもう「ジジ」の域に足を突っ込んでいる頑固な「老害(!?)」である。マチルダ的な聡明な子はぼくのことを嫌うのかな、と思うと寂しくもなる。

LINEのオープンチャットにて、ある方が英語を学ぶにあたってどんな方法が適切だろうかと訊いておられた。とりわけ、どんなアプリがふさわしいだろうかと……むろん、これに真面目に答えるとなるとそれはもう「千差万別」「人の数だけ」としか言いようがない。学ぼうとしている方の数だけやり方はあるので、あとはそれぞれの学習者が人のやり方を真似たり学んだりしながら自分なりにやり方を「アップデート」「カスタマイズ」(つまり「改良」)して自分なりの方法を編み出すのが最適解ではないかと。ぼくのやり方は、Discordというツールで英文の日記を投稿している。そして、世界中から集まるユーザーたちと英語で会話に参加したりしている(たいていはまあ他愛もない雑談だ。政治の話から天候の話に至るまで)。あるいはひょんなことから知ったMeWeというソーシャルメディアでチャットしたりもしている。いや、これは「ぼくの」最適解でありしたがって「あまねき」「まったくの」正解ではありえないだろう。自力を信じて、自分の道を歩むことが大事であるとぼくは信じる。

書きながら……ぼくはこう信じる。やっとこさ、あの子どもの頃の苦しさ、青春時代の孤独、大学に入ってからの疎外感、大人になってからのアルコール依存と絶望を経て自分なりの使命(ミッション)を見つけられたのかな、と。そのミッションというのはこうして英語を学び続けてやがてはこの市と世界をつなぐ「架け橋」的な存在、「橋」のごとき人になれたらという野望だ。それがあるから学び続けられているような気もしなくもない。なにはともあれ、ここから過去を少しばかり振り返りその昔、ありとあらゆる「夢と希望」を根こそぎ見失い、もしくはなけなしの夢想・妄想の発芽があったとしても自分からすばやく摘み取って捨ててしまっていた日々を思い出す。ジョブコーチとお会いする以前の話だ。ああ、ジョブコーチが英語を学び直すことを薦めて・励ましてくださって……いや、こんなことを書いているがぼくはいまの若い人にいったい自分の経験から・経験を通していったいなにをアドバイスできるだろうか考えたりもしてしまう。夢を見つけられない人たちに対して……おかしな話だ。なんら成し遂げたわけでもないのに。これこそ「老害」のあかしだろうか。

もちろん、いまの若い人の気持ち・アイデアなんてぼくにこれっぽっちもわかるわけがない(いまの若者といえば、インターネットがあらかじめデフォルトで存在していてことによると生まれ落ちたときからデバイスだって持たされていたかもしれない。ぼくの若い頃とくらべてその視野は確実に広いし現実的だろう。太刀打ちできるわけがない)。だから「ジジ」は「ジジ」らしく彼らの意思を尊重し、彼らにあまり干渉しすぎないようにすることこそ最適解かとも思う。でもこの日記でこれまでも書いてきたように、ぼくはいまでもなおどうやって自分がいまの生活を築き上げて、いまの使命感を取り戻せたかを語れたらとも思う。英語を学ぶことにどうやって情熱をふたたび燃やし続けられるようになったか……いや、でもこれについて言えばたぶんぼくは「結局これは才能があったわけでもない。機会にめぐまれていたかどうかも定かではない。たんにあの日ジョブコーチにお会いする僥倖を得て最後の運を握りしめることができて、そこからジャックポット(大当たり)を得たんだと思っている」と結論づけることになると思うのだけど。そう、裏返せば情熱があれば誰でもぼくなんて軽々と追い越せる。情熱さえあれば。