跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/09/25 BGM: ポータブル・ロック - Lonely Girl, Dreaming Girl

今週のお題「夏の思い出」

今朝8時、となり町にある病院に行く。バスに揺られること1時間。着いて歩いたそこで、また親知らず抜歯の施術をしてもらう(先月は左の奥歯で今回は右なのだった)。施術前に、執刀してくださるドクターがおっしゃったのは先月にあれこれ・ドタバタと苦しめられた目まいというか変調というか、頭がふらふらしてなにも手につかなかった現象は抜歯とはとくに関係がないとの話だった。「心因性のものですか」と確認したらそうだとおっしゃったので、ここは「プロ」の言葉を虚心に信じようと思った。たしかにあのころは酷暑にさいなまれ、お盆休みも取れず台風も来たりしててんやわんやだったことを思い出した。

その後、施術も終わり精算を済ませた後に病院近くの薬局で痛み止めなどの薬を出してもらう(ほとんど2時間ほど待ってしまったので、その間は日野啓三の短編小説を読んで過ごしたりLINEで生死についてチャットしたりした)。加えて、熱を帯びている患部も気になり食欲もなにもあったものじゃない。痛いというのではない。いやもちろん、無痛じゃないのだけれど「ズキズキ」ではなく「ヒリヒリ」というか、とにかく熱としか言いようがない。ぼくの語彙にはない感覚としか言いようがなく、だから精細に表現する術を持たない。なんにせよ、抜歯をナメていたぼくは「終わったら磯丸水産かどこかでランチを食べよう」と思っていたのだがそんな気にもなれずとっとと帰って休むことにして、帰りのバスを調べたら1時間半ほど待たないといけないということとなった。

しょうがないので、こんかいもジュンク堂書店をぶらりと訪れてなにか適当に買い込むことにした。ガブリエル・ガルシア=マルケスの話題の書『予告された殺人の記録』の文庫本を買う。帰りのバスの中で、もう1冊その買い物の中で買い込んでいた佐々木テレサ・福島青史『英語ヒエラルキー』を読みふける(ただの凡人のぼくにも、こんな侮りがたい本と遭遇してしまう才能はあるのである)。まださらりとしか読めていないが、日本で行われている「英語だけで授業・講義を行う試み(EMI、つまり『English Medium Instruction』)」が紹介されている。そうした試みは「グローバル人材」を育てるためというのが目的らしいが、結果としてそれが生徒たちにトラウマに満ちた経験を植え付け、自信喪失やアイデンティティの混乱をももたらす事実を如実に記している。

そうしたEMIを通して、彼ら・彼女たちは英語のスキルが不充分・未熟であるために授業に追いつけず苦悩せざるをえない事実が記されている。そして同時に、アイデンティティ・クライシスやプライドの傷つき。また、見過ごせない事実として日本語の能力さえも育たないという側面もある。だから結果として、プライドや英語力、日本語力やアイデンティティにおける苦悩が残る結果となる。これはある種悪夢のような事実だと思った。またゆっくり考えたい。友だちとも、この本についてシェアして語り合えたらと思う。

このことと関連して……ぼくは自分の英語力を自慢したいとか自信を持てるとか思ったことは「ぜんぜん」ない。これは大真面目に書いている。友だちは「うまいじゃん」と言ってくれるけれど、でもだったらそんな「ヒエラルキー」から人を見下してもいいのかという話にもならないだろうか(いや、飛躍が過ぎるか)。ぼくとしては喜びを以て英語を学ぶことでアイデンティティを着実に築き、そして自信・自尊感情を育てられたらと思うがただの夢物語・夢想の域を出ないのかなあ……なんて思ってしまった。