今朝、英会話関係のZoomミーティングに参加したあとグループホームを出て図書館に行きそこで池澤夏樹の本を何冊か借りる。その後イオンに行き、本を読んで気分転換を図ろうとするもまたも軽いめまいを感じる。薬を服用し、グループホームの方に報告のメッセージをお送りする。すぐに返信をいただき、アドバイスと励ましの言葉をもらった。所属しているLINEグループにおいて近しい友だちにいまの状況を話しておいた。
友だちの1人が、このことについてぼくが冷静だということを褒めてくれた。もちろん非常に光栄なことだ。でも、もし冷静であり続けられているとしたら(ここでは書かないだけで、内心ではいつもビクビクしたりピリピリしたりしながら生きている。一週間も続くめまいに動じないで生きていられるなんてことは、少なくともぼくにはできない芸当だ)それはやはり月並みな話になるがぼくが孤独ではないから、友情に支えられているから安心できるということなんだろうと思う。このことで気取るつもりはないし嘘もつくつもりもない。過去、酔いどれていたころはそれこそ世間と孤絶して生きていて独りぼっちで死ぬんだと絶望していたのを思い出す。もしいまそうだったら、すぐあきらめて会社を辞めることさえ考えただろう。
いじめに遭っていた頃、学校中のクラスメイトに嫌われていた時期……もちろんいまはそういう時期はごくシンプルに言って異常だったのだとわかる。でも、自閉症っ子だったぼくにとってそのおかしな時期とは頑固な思い込みに染まらざるをえなかった時期でもある。誰も信用できない、誰も嘘をつく、笑顔の裏でぼくのことを笑っている、などなど。でも、なんだかんだでアルコールを断ってからはその時期が間違いだったこと、ありえなかったこと、あるいはあってはならないことだったと認められるようにもなった。それはそれで貴重な経験だったと言えるのかもしれない。