ああ、いずれ死ぬ日が来る。時間は過ぎる。考えれば考えるほど、いったいこれまでの人生でなにを後悔したかを考えてしまう。ラオウではないけれど、自分の人生に「一片の悔い」があるか。成し遂げられなかったこととか、実現できなかったこととか。やけっぱちで酒に呑まれて生きていたころは思うことと言えばもう死にたいとかそんな夢も希望もない望みばかりで、だから死んでもいいし悔いなんてありえないとも思っていたのだった(あるいはこう言えるだろうか。悔いがあろうとなかろうといずれ死ぬならあきらめるしかないのだから、ならばそのいずれ死ぬという事実の前に自分の中で完結する実にみみっちい後悔なんてどうでもいい、と)。ああ、過去、「永遠の生」「永遠に美しく」「いつまでも若く」なんて考えを笑い飛ばしたものだ。永遠に生きたとしてもそれがなんになる、と。
別の言い方をすれば、あらゆることを信じまい、信頼してこの身を委ねたりしまいとムキになっていたのかなとも思う。ロマンティックな恋愛をあきらめ、成功もかけがえのない友情ももう自分には手が届かないとあきらめようとしたのだった(いまから思うと信じられないことだが、ジョブコーチやいまの友だちとお会いする前の話である)。信じないこと、ニヒリストになること。アルコールだけがなぐさめだったなと、あの頃の危うい日々を思う(もちろんアルコールは物言わぬ残酷な物質に過ぎないので、ぼくの傷ついた心をケアしてくれるはずもなかった)。ああ、なんとも命からがらの十年間。いまはこの人生を生きられる。たぶん神が与えてくれたかけがえのない生を。
夜になり、日記にも書いてきたとおりZoomでのミーティングに参加する。そこで刀祢館正明『英語が出来ません』について話し、英語学習にまつわる話をする。それぞれの参加者がかけがえのない経験談を話してくださり、ぼく自身は実に情けないことに歯科通院などで準備に手が回っておらず不十分なままプレゼンしてしまったのだけれど、楽しい会を持てたと思った。参加者の方々の好意に頭が下がる。ありがとうございました。