その治療とその後の精算の待ち時間で、こんなことを自問自答した。明日のZoomミーティングのための予習だ。いったいこれまでの人生でぼくはどれだけの時間を英語学習に費やしたのだろう。たぶん学校や私生活で費やした時間は相当な規模にのぼるはずだ。だが、そんなにまでして多大な努力を継続的にしたとはいえ、まだ「ペラペラ」にならないといけないというプレッシャーを感じてしまう。なんだか終わらない循環のようだ。でも、それが「悪循環」なのかどうかはわからない。
なんとか精算も終え薬ももらって、病院を出て町の中心街に行く。大きなショッピングモールがあって、その中には書店もあるのだった。2冊本を購入する。1冊は片岡真伊『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題』という本で、歴史を参照して日本の名作小説(谷崎潤一郎『細雪』や川端康成など)がどう英語に訳されてきたかを問う試みらしい。面白そうだ。もう一方は青山拓央『哲学の問い』という哲学的な随想(?)を収めたものでこちらも面白そう。その後、スターバックスに行き飲み物を注文する(ゲンキンなもので、その時はもう抜歯のことなんて忘れていたのだった)。
そんなこんなで1日がかりの通院も終わり、グループホームに戻って夕食をいただく。夜にある悲しいニュースに触れる。日本の著名な知識人の松岡正剛が亡くなったというニュースだ。彼の本は実は『フラジャイル』程度しか読めていないが、そんなうつけ者のぼくでも彼がたくさんの仕事を残して去った偉人であることくらいはわかる。ぼくの視点から見ればその書物の該博な知識で人を楽しませられる稀有なプレゼンターだったと思う。星の数ほどある(ほとんど無数の)本から、星座というかネットワークを作り出し人を楽しませられる。そんな人だったと思う。合掌。