いつも書いているけれど、10代の頃ぼくはマジメな(そしてあまりにも視野が狭くて熱狂的な)サヨクの青二才だった。その視点から見れば他のクラスメイトなんてただのバカの集団にしか見えなかった。誰もその学校で政治や哲学、その他「深い」ことがらを語っているように見えなかったからだ。もちろんそんなことを考えるのはそれこそそうしたクラスメイトのことをまったくもって理解していなかったし、あるいは理解することを試みすらしなかったぼくの単純すぎる(というかただのアホな)性格ゆえだったのかなといまならわかる。そう、「いまなら」わかる。だが当時はインターネットもなく(少なくとも、いまみたいな「便利な」「使える」インフラとしてのインターネットはなくパソコン通信が主だったのではないかと思う。誤解あればお叱りを甘受する覚悟である)、いまみたいなTwitterやFacebookもなかったのでコミュニティにおいて日常会話として政治的なことを語る空気が見られなかった。
別の角度から見れば、もうその時点でぼくの発達障害の特性がバリバリに出てしまっておりクラスの空気に溶け込んだり従ったりできなかったというのはあると思う。そうした場では変人扱いされて、「浮く」しかなかったのだった。だから結局当時持っていたウォークマンとイヤフォンで外の世界をシャットアウトして、自分のテリトリーに引きこもって死んだふりをしていたのを思い出す(その頃からもうぼくは村上春樹の大ファンだったので、その春樹と吉本ばなななんかを読み込んで過ごしたりもした)。書いていて、自分でも呆れてしまう。よくもまあ(若かったとはいえ)極端で排他的な若僧だったものだ。外界をもっと冷静に見渡し、受容する姿勢があればいい小説やいい詩を書くこともできたのではないか。
でも、そんなことをつらつら考えるとこんなことを乞い願いたくもなる。10代のその頃、ぼくはもうそのクラスの中で「紛争」めいた内的葛藤やいじめを生きていたのだった。いや、話を誇張しているという話になるかもしれない(そしてぼくも、このことは結局記憶と主観頼みでなんら客観的な証拠など示しようがないのでそのお叱りを甘受するしかない)。でも、なんにせよそんな教室で起きる色恋沙汰だとかいじめだとか勉強だとかあらゆることはたちの悪い冗談か悪夢でしかなかったのだった。そんなことがらがいま思い返せば恰好の教科書となって、ぼくにミクロな次元での「政治」を教えてくれた側面はあるとしても、だ。終戦記念日にそんなことを思った。