そんな事態が実現したらどうなるだろうか。あらゆる国家が女性をそのリーダーとして誇るようになったならば……そのような事態を、ぼくは決して諸手を上げて「永遠平和」「恒久平和」が訪れる理想的なものとは歓迎できないのだが(学生時代にこっぴどく女の子に嫌われ、あまつさえいじめられたりしたぼくはしたがって女性たちもある意味でしばしばとても「好戦的」「論争的」になりうるという考えを捨て去ることができない)、でもマッチョなリーダーたちがエネルギッシュに自分たちがいかにスゴいか・強いかヘゲモニーを誇ることを愛するという意見も理解できる。がゆえに、刺激的な問いだと思ったのだった。
いまは多様性の時代だ。だから、こんなことを想像してしまう(なんだかジョン・レノンの不朽の名曲「イマジン」もどきな話だが)。この世界はもっと自閉症(発達障害)者のリーダーを求めているのだろうか。自閉症の政治家・社長といった人たちを……どう思われるだろう。いやもちろん、悪夢の時代に戻ることがあっては絶対にならない。あの時代……アーリア人こそが優秀と謳われた「優生思想」が幅を利かせた時代だ(もしくはある究極・絶対のイデオロギーによって世界が単一に染まること・彩られることを目指したファシズムやスターリニズムといった時代を思い出してもいいかもしれない)。ああ、なんだかむずかしい話になった。でもこんなことを考えるのも決してムダではないと信じる。
日記でも書きなぐってきたように、実はぼくも発達障害者である。たぶんそれが主な原因でぼくはヘンテコリンな疑問をついつい抱いてしまうんだろう。「なんで平和は大事なんだろう」といったような当たり前のことを疑ってしまうし、そして「それについて答えを出したら、それをどう人に伝えたら通じるんだろう」なんてことも考えてしまう。ふざけているわけではなく、いたって大真面目にこんなことを考える。こんな考え方はそれこそぼくの自閉症・発達障害的日常生活から来るのだと思う。それこそコンビニでちょっとした買い物をする時でさえ、ぼくは会話が実にむずかしいと思い打ちひしがれるのだった。それが発達障害的な人生なのだから困ってしまう。
仕事を終え、英会話教室に行く。アメリカの日常生活がどう成り立ち、人々がコミュニティをどう切り盛りして暮らしているか教わる。その後日本の日常生活の表事情・裏事情を英語でシェアし合い、少しばかり「議論」も白熱して実にスリリングな日を味わったのだった。その後グループホームに戻り、漱石の『こころ』をめくったりして1日を閉じた。
