英語学習者のためのある手引書というか指南書を読んでいて、こんな感じで一躍コツを掴めた時に生じる「フワッと浮く感じ」についてページが割かれていたのを思い出す。ぼくはその「フワッと浮く感じ」を自家薬籠中のものにしたということかもしれなかった。昼食時、フードコートで周囲を見渡した。多分他の方から見てぼくはただの名もなき人だ。ある意味、それは押さえるべき大事な真実だ。でも、これを書いているこのぼく自身から見ればぼくは大事な主人公だ。
したがって、2つの矛盾するスタンス・態度が生じうる。人はぼくのことを1個の石ころとみなすと想像する(パスカルの哲学みたいだ)。でも、ぼくはぼく自身をツールとして用いてさまざまなことを為しうると信じる。いろんなことができる。彫像を作ることも、ビルディングを作ることも(いや、これはメタファーの世界の話だけど)。
仕事が終わったあと、英会話教室に赴く。そこで、いつもより参加されていた生徒が少なかったことに気づく。今日のレッスンの主なお題はトラベル(旅行)について。ぼくはめったに旅行なんてしないので、この話題はとてもついていくのが難しい。先生が振って下さるお題に食いつき、他の生徒たちの会話を聴くのが精一杯だった。
またしても不思議に思う。ぼくの英語(スピーキングなどの口での表現)はいいのか悪いのか。日本語でだって、ぼくはうまくしゃべれないというのに。でも、Discordやリアルで「セッション」として場数を踏んで語ることをやってみてきたから、まあなんとかなっているというかそれでもそこそこのものにはなっているかな、とは思う。もちろん「ペラペラ」にはほど遠いけれど……グループホームに戻り、明日職場で行われる健康診断のための用意をして眠りに就く。6月もあれこれ考えていると終わる。来月、ぼくは49になる。