ぼくはかれこれ同じ会社で勤め続けて20年を超えてしまったのだけれど、でもこんなふうに勤め続けられるとは夢にも思っていなかった。それどころか、最初はこんな厳しい仕事は半年も持たないだろうとも思っていたくらいだった(だから、ただ最初は「ダメ元で」仕事に就いて身体を社会復帰のために慣らしていこうという程度のものすごく低い志から始めた仕事だった)。その自分との約束がいちおうは済んでからも仕事はなんとなく続いて……そしていまに至るのだった。
思い出す。キャリアを始めた頃、夢も野望もこれっぽっちも・ひとかけらも持っていなかった。ただ毎日毎日仕事をして、済んだら帰って呑んだくれて寝て、そして終わる。そんな日々の繰り返しだった。でもそんな絶望的な日々の中でもぼくはある種「ファイティング・スピリット(猪木的な『闘魂』と言おうか)」だけはどこかに持っていたのかもしれなかった。それがぼくをして諦めさせなかったというかなんというか。いやはや……40になり断酒を始めてから、さまざまな友だちとめぐり逢いミーティングに参加することもできた。そんな意志を持ち続けることもできた。その一環として英会話もDiscordもある。
「どうして雪は雪なんだ? 雪はなぜ美しいんだ?」。この本の中で、そんな素朴な疑問をある登場人物が抱く一瞬がある。彼はその疑問をたずさえて海に行き、波の寄せては返す動きに魅入られる。とてもポエティック(詩的)で美しいイメージに満ちた一コマだ。ぼくの少年時代はどうだったか。子どもの頃、すでにぼくは他の子と隔絶した感覚を感じていた。外界とも折り合えずよそよそしさを感じ、その感覚を言葉にすべく言葉や語彙を探して本の中をほっつき歩くくせがついたのかもしれないなと、いまなら思える。
その後仕事を始め、休憩中に昨日のミーティングで話し合ったことを反芻してしまった。そこでぼくたちは誰かに傷つけられることについて盛り上がったのだった。傷つけられることを極度に嫌う人がいる、という話だ。ぼくも他人から傷つけられることに神経質になり、不快感から無縁でありたいと思ってしまう。だから同じ穴のムジナではある。とりわけ、ぼくのことなんてどうでもいいだろう人からそんなミソッカスにされたらつらい。でも、他人から傷つけられるのを嫌い拒否するなら、ぼくの人生はひどく味気ないものになるとも思う。それはある種「デタッチメント(隔絶)」の姿勢というか、他人のいない世界で1人ぬくぬく過ごしたいという逃避にしかつながりえないと思うからだ。一時的になら逃避もいいだろうけれど、結局はぼくはこうやって自分の考えたことを言葉にして外に出さないと収まらないのだった。