単純な生活

Life goes on brah!

2024/06/13 BGM: Fatboy Slim - Because We Can

今日は早番だった。ランチタイムに例のごとくあれこれ考えごとをして時間を過ごす。今日はこんなことを考えた。いったいどんなふうにして、ぼくはいまのグループホーム発達障害を考える会につながることができたのだろうか。あるいはこの市に存在する国際交流協会や断酒会についても。当然のようなこれらのつながりは、まさに僥倖だったのだとも考えてしまう。実を言うと今日、Twitterでこうした種類の話題がポストされているのを読んでこうした考えに思い至ったのだった。ほんとうに困りごとを抱えて進退窮まる人たちというのは、まず最初のステップを踏むべくどう活動・行動を起こせばいいのかがわからずそこでさえ躓いているのではないか。ぼく自身の経験から語るに、たしかにそれはありうることで難しい問題だと思ってしまった。

あるいは以前の英会話教室において、こんなことを話したのを思い出す。どうやって英語を「セルフスタディ(自習)」するかについてだ。それもまた、ぼくがこんな問題について考えてしまう一因なのかもしれない。いやもちろん両者は位相が異なることであり、身も蓋もなくごたまぜにしてしまってはいけないだろう。でも、似たような「構造」を抱えた問題とも言えなくはないかとも思えたのだった。

まずどうやって自分の実像を見極めたらいいのか。それができなければぼくたちはどんな問題を抱えているかすらわからないだろう。そして、そうして自分の実像を見極めたあとに(必ずしも「完全に」見極める必要はないだろうーーそんなことは不可能だろうから。とりあえず、自分が「なにに困っていて」「なにをしたいか」程度のざっくりしたことがわかればいいのではないか)どうやって自分たちを外部のグループ・コミュニティにつなげていくか。たとえば市役所に行くなり、あるいはインターネットを使うなりして。重要な、でも同時にとても込み入った問題としてこうしたことがらはあり続けると思う。

ご存知のように、ぼくはただの「名もなき」発達障害者、ただ働きながら英語を学習する1人の男に過ぎない。だからなんら普遍的で完璧な処方箋というかメソッドというか、ソリューションなど言えるわけもない。でもぼくがこれまでの経験から体得できたヒントくらいは書けるかもしれない。願わくばそれを通してあなたになにかを示唆できたらと思う……英語学習に限ってのことをまず話そうか。ぼくはまず英語を実地で学ぶべく英会話教室に通うことも幾度となく考えたがそのたびに「冗談は顔だけにしろ。そんなカネがどこにあるっていうんだ」と尻込みしてしまっていた。でも、40になりひょんなことから一念発起して英語をやり直そうと決意した後に「でも、やっぱり独学では限界があるなあ」と思っていた頃にこの意志を友だちに伝えたところある友だちがこの市にある国際交流協会のことを教えてくれたのだ。そこでは国際交流の目的で、実にリーズナブルに英語を教えてくれるというので藁にもすがる思いで通い始めたのだった……それも遠い昔のことだ。

「求めよ、さらば与えられん」という古の言葉がある。これはいまはぼくは真理の1つとしてぼくなりに素直に、実にありがたく受け入れられる。でも、どうやって最初のステップを踏んでいいかわからなかった頃はこの言葉がとてもナンセンスというかお題目のように響いたことをも思い出せる。「求めよ」と言われても、まず「なにを求めたらいい」のか、「どうやって」「どのように」「どんなやり方で」求めたらいいのかわからない場合はどうしたらいいっていうんだ、と。いまなら「図書館に行ったら英語の本を借りられるから読んでみたらいいんじゃないか」とか「LINEやTwitterで日々の『かけら』『断片』を英語で投稿することから始めたらどうだろう」なんてことは言える(これが「ベストソリューション」ではありえないことはぼくだってわかるが、それでも第一歩にはなるはずだ)。でも、ぼくは彼らの中に確実に内在する問題が彼らの足をしばしば止めてしまうこと、その困りごとからなかなか勇気を出せないことを「臆病だ」と非難することは断固として慎まなければならない。