跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/31 BGM: Ocean Colour Scene - The Day We Caught The Train

今日は遅番だった。朝、沢木耕太郎『チェーン・スモーキング』を読みつついつものように英語でメモを取る。おかしな話になるが、私たちは完全に忘れてしまったことを思い出すことはできない。私がメモを取るのはもちろん忘れてしまうのを防ぐためだが、ならばこの忘却するという作用はただのムダなのだろうかと思ってしまう。英語のメモを取ったり日記を書いたりするようになって2年ほど経つが、読み返すと自分がいかに多くを忘れて生きているかということを痛感させられる。今日だってメモによれば朝はひどく不安を感じていたのだけど、その後外に出てボウリング・フォー・スープの音楽を聴きながら『チェーン・スモーキング』を読んでいたら回復したようで、つまりは不安を忘れてしまったということになる。どうやってこの忘却という作用を扱ったらいいのか、と考えさせられる。

大事なことを忘れる……例えば『チェーン・スモーキング』にしたって、何度か読んだことのある本ではあるのだけれど私はその内容のあらかたを忘れている。今後も忘れていくだろう。ならば読書は時間の無駄ということになるのだろうか? ただ私は活字が脳を貫く楽しみを味わいたいだけなのでそれでもいいとも思うのだけれど……これについて考えると管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』に書かれていた逸話を思い出す。碩学で知られた渡辺一夫がある本について自分が読んだこと、あまつさえ熱心に書き込みをしたことさえ忘れてしまって読み進めてしまって途中で気づいたという逸話だ。私も今になってみれば、例えば谷崎潤一郎痴人の愛』の内容なんてこれっぽっちも覚えていない。確かに夢中になって読んだはずなのに。まあ、そんなこともあるのが人生かもしれない。

Facebookでとある方から、日曜に行われるオンラインミーティングに誘われる。何とか参加できないものかと都合をつけてみる。私の場合は英語力において欠けているのはスピーキングとリスニングなので、そのミーティングで少しでも練習できればいいな、と……私はこうして一生英語学習を続けることになりそうだ。英語学習の道は険しく、奥が深い。一生かかっても究めることなんてできないだろう。そして、こうして英語を学び続けたことがこうした他人との交流につながって自分の世界を広げるのであれば実に英語サマサマだな、と思う。ロシアの女性ともまたWhatsAppでやり取りをし、このオンラインミーティングについて教わる。さてどう出るだろうか。どこに行っても「私は私」「しくじる時は堂々と」の精神で乗り越えられたらいいな、と思った。

それにしても、沢木耕太郎は実に引き出しの多い方だなと思う。『バーボン・ストリート』『チェーン・スモーキング』と読み進めているのだけれど、どのエッセイからも私自身がこうして何かを書く時のネタを拾うことができる。どこからこうしたトピックを見つけてくるのだろう? 私自身も沢木にあやかって自分の思い違いについて書いてみようか、とも思った。英語で「I enjoyed myself」と言うべきところをずっと「I enjoyed itself」と勘違いして使っており不思議がられたこと、平岡正明岩波新書で『マリリン・モンロー あの尻をねらえ』という本を出していたと勘違いしていたこと、などなど。こうした事柄は恥ずかしすぎて忘れられなかったのだが、それが功を奏して現在こうして書けるようになったのなら覚えていた甲斐があったのかなとも思った。