跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/20 BGM: 大江千里 - WE ARE TRAVELLIN' BAND

今日は遅番だった。朝、アルヴァ・ノトと坂本龍一のコラボを聴きながら大岡昇平『成城だよりIII』を読み終える。1985年の世相を閉じ込めた日記で、私自身の中にある80年代への憧れを刺激される。私の世代はロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代で、バブル経済が華やかだった頃のことをそれなりに見知っていつつも実際のところはその後に訪れた悪夢の不景気を苦しまなければならなかった。もちろん80年代がいいことづくめというわけではなかっただろうけれど、それでもアカデミズムやポップカルチャーが華やかというか陽気にこの世の春を謳歌していた雰囲気に満ちていた時代ではなかったかと勝手に幻想を抱いている。私自身、もう少し早く生まれていたら浅田彰にハマっていたり就職して馬車馬のように働いていたりしたのかもしれないな、と思う。もちろん勝手な推測に過ぎないけれど。

本を読むのは結局、読書を通して「忘我」の境地に至りたいからかなと思う。あれこれ考えてしまう自分自身を忘れて没頭する……より高い次元の存在と自分を結びつける、というように。過去のことを思い出すと、私はこんな風にあれこれ考えてしまう自分がイヤでしょうがなかった。思いつくことと言えばヘンなことばかりという自分、それゆえにやることなすことヘンだった自分を「殺したい」とも思ったので酒に溺れたのだな、と。だが、こんな風に考え込む自分自身のことを私はある時から諦めを以て受け容れるようにもなった。もう自分自身を変えるのは無理なのだから、受け容れよう、と。長い時間を要した。途中死にかけたこともあったのだけれど、今は自分自身を大事に育てることを考えて生きられている。もちろん自分に甘すぎるのも考えものではあるのだけれど。

私の生き方の格率を決めたのはフィッシュマンズなのだけれど、「死ぬほど楽しい毎日なんてまっぴらごめんだよ」と彼らが歌っていてその言葉が自分に突き刺さったことを思い出す。エクスタシーに満ちた、血湧き肉躍る生活を拒否して自分自身の幸せに忠実に生きることの大事さを教わったと思う。過去のことを思うと自分はずっと非日常的な「祭り」こそが幸せだと思いこんでいたと思う。だが、今は日常のなんでもないことや些細なことの中にこそ幸せが眠っているとも思う。今日は読書もはかどらなかったのでこんなことを考え込んでしまった。考え込んでいる時間、あれこれアイデアを練っている時間が自分にとっては楽しいのだなと思う。多分死ぬまで可能な限り、自分は考え続け書き続けるのだろう。実に厄介な人生だと思う。でも、私はその生き方に殉じる。

こんなニュースを聞いた。小学生で英検2級を取得した子がいるらしい。実に早熟の天才だと唸る。私は以前に「語学は才能だから」と言われたことがある。それはもしかすると本当かもしれない。でも、あらかじめ「語学は才能だから」という思い込みを壁にして先に進むことを諦めてしまったらつまらないとも思う。私は「努力」という言葉はあまり自分にしっくりこないと思っているのだけれど(もしかしたら自分は好きなことに没頭するだけの人生を過ごしてきたせいか、「努力」したことがないかもしれないとも思う)、でも地道に英語でメモを書いたり発信したりすることが好きだから続けている。この「好きだから」という気持ちに嘘をつきたくない。そうして才能に頼らず「好きだから」をやり続けること、それが語学に限らず何に関しても大事なことかなとも思う。

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