特別お題「今だから話せること」
最近つくづく思うのは、歳を取って自分の中でそれなりに本を選ぶ指針ができてきたせいで図書館に行っても「まったく知らない新しい本」と出会うのが難しくなったということだ。今日は早番だったのだけれど、仕事が終わったあと図書館で本を選ぼうとしてついつい今まで馴染んできた村上春樹やレイモンド・カーヴァーを選ぼうとして、それでは進歩がないとも思ったのだ。もちろん、今まで読んできた本にしても新しい発見があるかもしれないので読むことが無意味というわけではないのだけれど、フレッシュな本というかカフカ言うところの「自分を傷つける本」との出会いも大事ではないかと思っている。だが、そうした本とはどうやって出会えばいいのか時折わからなくなるのもまた確かなのだった。出会える時が来るのを待つのも大事なのだろう。今日はアリス・マンローの短編集を借りた(アリス・マンローは読んだことがないので……)。
歳を取って自分の輪郭を知り、自分自身の特性を学んできたせいか自分の好みに合わない作家を無理に「これも勉強だ」と読むことがなくなったのもそうした本のチョイスに現れているのかもしれない。例えば、私は自分の本の好みはそんな広大なファンタジーに浸って現実を忘れて快楽を貪るという類のものではないと思うようになった。むしろ村上春樹やレイモンド・カーヴァーのある種の作品が備えているような、ミニマルな日々の幸せを確かに味わうことこそが自分の肌に合っていると思う。だから多分私は何度挫折してもマルセル・プルーストを読む反面、まったくガブリエル・ガルシア=マルケスの長編は読まないだろうなと思う(マルケスの短編は好きなのだけれど、『百年の孤独』は最初の数行でついていけなくなる)。まあ、これも資質の問題なのだろう。私はマルケスを読みこなす才能がない凡人だ、とも言える。悲しいがそれもまた人生だ。
私はネットでは「踊る猫」を名乗っているのだけれど、なぜこの名前なのかと英会話教室で最近訊かれることがあった。別に深い意味があるわけではなく前の名前から今の名前に切り替えようと思って(めんどくさいいざこざがあって、何もかもやり直したいと思ったのだ)、その時にたまたま石野卓球さんの『throbbing disco cat』というアルバムを聴いていたので極めて安直に「disco cat」という名前をつけた(私自身猫が好きだからというのもあった)。だが、いちいち相手に「ディスコキャットさんは」と打ち込ませるのも気が引けたので日本語の名前を考えないといけないと思い、これもまた安直に「disco cat」を翻訳して「踊る猫」という名前を考えついた。この名前は私のお気に入りというわけでもないのだけれど、他にマシな選択肢も思いつかないので名乗り続けているうちに自分の中で落ち着いてきた。だから今でも使い続けている。
そのことでもう少し話を広げると、「throbbing」という形容詞が気になる。これは「痙攣する」という意味があると知ったので、「『痙攣する猫』とはどんな猫だろう(ヘンな猫だなあ)」とほんとうに脳天気に思いつつ名乗っていた。だが、この形容詞は「脈打つ」という意味があり、卑猥な意味が込められているとも知った。その後この名前は「throbbing gristle」という海外のポストパンクのバンドから来ていると知ったが、それも「脈打つ臓器」という意味になる。これはさすがに読者を選ぶ話題なのでつまびらかには書けないのだけれど、端的にエッチな「隠語」としての意味を持つと知った。そこから自動的にクリーピーな響きを持つ名前として受け取られるらしく、「ヘンな名前!」と海外の方からチャットでイジられることもある。そんなこんなで改名するとしたらどうしようか(いっそのこともっとエッチな名前にしようか)、と思ったりしつつ今に至っている。