跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/02/08 BGM: SBK - Tokyo LV

今日・明日と休みをもらったので実家に戻ることに決めた。朝、図書館に行き本を借りてその後イオンに行く。トルコで起こった地震について、Facebookで友だちがYahoo!を通して寄付をしたと公表していたので私も少しばかりではあったけれど寄付をする。大勢の方が亡くなられたというニュースに胸が痛み、私自身2度の震災を人生で体験してきたことを思った(阪神淡路大震災東日本大震災だ)。そんな震災の多い日本からできることは他にないだろうかと考える。イオンで見た日本の光景は平穏そのもので、こうして平穏さが保たれていることのありがたみについて考える。言うまでもなくそれはインフラを正常に保ち便利な生活を可能たらしめている人々の尽力によるものだし、もっと言えば私たちみんながそれぞれの持ち場でベストを尽くしているからではないかと思った。

昼、実家に戻り両親と食事を摂る。その後昼寝をして、自分の部屋でぼんやり茂木健一郎下條信輔の本を読んでみるも頭に入らない。いつもと環境が変わったからだろうと思う。それで、無理をせずア・トライブ・コールド・クエストを聴いて午後をゆるく過ごす。本棚にある本が目を引く。もちろん私が買ったものだけれど後藤明生『壁の中』がとりわけ興味を引いた。古本屋で百円均一のコーナーにあったこの一冊を、本作の価値など何も知らなかった私が「後藤明生だったら読んで損にはなるまい」と思いサルベージしてきたのだった。これからの時期、この分厚い本と向き合って過ごすのもいいかなと思う。あとは若い頃に買って読み耽った宮台真司の本に、私自身の若い頃の情熱を思い出させられ苦笑する。生きづらいなりに頑張った時代が私にもあった。

夜、昼に引き続き下條信輔『サブリミナル・インパクト』を読むもはかどらない。この著者のアプローチは手堅い。豊富な実験データから類推を着実に運び、私たちが自分の意志で求めているものが実はあらかじめコントロールされているのではないかと指摘する。そして、著者はそれを闇雲にディストピアを意味するものとして位置づけたりせず、かといって称揚することもなくまずは現実として見つめることを提言する。その筆致に唸らされ、私もAmazon読書メーターなどでサジェストされる本を選んでいる自分のことを思う。それは偶然自分が見つけたもののように思われて、その実インターネットに存在する膨大なデータの中からアルゴリズムで「私向けに」弾き出されたものなのだなと思い至る。

村上春樹ノルウェイの森』と出会い、フィッシュマンズ『空中キャンプ』に感動し、それ以外だと黒沢清是枝裕和の映画に感銘を受けた。そうしたものとの出会いや、今つながらせてもらっている友だちとの出会い(断酒会や発達障害を考えるミーティング、英会話教室などなど)がこの自分を作り上げている。そう思うとそうしたものに惹かれた私のこの脳とは何だろう、と改めて思う。あるいはそうしたものに囲まれて生きている私は自分の関心のあるものと日々出会ったり出会いそこねたりしているわけで、村上春樹フィッシュマンズもいずれは出会うべきものだったのだからそんなに大げさに考える必要もないのかもしれない……小林秀雄だって生きていればいずれはアルチュール・ランボーと出会っていただろう、というように。だが、そうした冷笑的な考えをくぐり抜けたとしても私は自分自身の人生の持つ偶有性、一回きりの人生が持つ運について考えてしまう。人生すべて運次第……と言ったのは『こち亀』の両津勘吉だっただろうか? 私はそうは思わないが、確かに私はラッキーな人生を生きてきた。