跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/11/14

朝、clubhouseでジュディスさんが開いたルームに入る。そこでいつも通り日記を読む。ブルース・スプリングスティーン「ボーン・イン・ザ・USA」について話した。この曲が誤解されている、ということを……話しながら、やはり自分の英語はどうかな、とあれこれ考えてしまう。私には自分の英語の良し悪しはわからないわけだけれど、ジュディスさんや他のリスナーの方はどう聞いておられるのか。発音も日本語の訛りがはっきり入ったものだと思うので流暢なものではありえないのだけれど、それでも「いい👍」と言って下さる方がおられるので純粋に不思議だなと思う。

今日も昨日に引き続き休みだったので、映画を観て過ごした。ネットフリックスで『DUNE/デューン 砂の惑星』を観る。実にダイナミックな、スケールの大きな映画だった。序盤でストーリーの全貌を説明するのではなく、半ばまでこちらを巧みな映像美や演出で釣って惹き込んでいく。その手付きが何というか「巨匠」だなと感銘を受けた。逆に言えばその分不親切というか、私のようなボンクラでもわかるような間口の広さはないとも言える。だが終始圧倒されながら観てしまった。ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の底力を見た気がした。

夜、『グレタ ひとりぼっちの挑戦』を観る。これは日本でも知られる環境活動家グレタ・トゥーンベリの活躍について肉迫したドキュメンタリーだ。観ていてまどろっこしい印象を受けた。彼女の主張がはっきり伝わってこなかったからだ。どのようなアプローチから環境保護を訴えるのか(言い方を変えれば、私たちにできることは何か)、それが見えてこない。そして彼女の動機も見えない。ただ「環境破壊はいけない」と繰り返し唱えるだけだ。これでは私は納得できない。だが、彼女のピュアな人格は伝わってきた。

思い出したのは、私自身もそうした「ピュアさ」を持っていたという記憶だった。私の場合はそれが「反戦平和」に行き過ぎて極左に走ったわけだけれど、そうして持っていた「ピュアさ」は現実に揉まれてへし折られて今のような人間性として残った。それは角度を変えて見れば「汚れた」ということなのだろうと思う。だからイヤミではなくグレタの「ピュアさ」は貴重なものだと思うし、それを冷笑的に見たくもないとも思ったのだった。私自身ができることはこうして映画や本に触れていろいろ考えることくらいなのだけれど、グレタに言わせれば甘っちょろいのかもしれない……。