跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/09/26

今日は通院日だった。先生と話をする。その後薬をもらってイオンに行き、村上春樹『約束された場所で』を読む。オウム真理教に入信した過去のある人たちへのインタビューが収められており、私はどちらかと言えば地下鉄サリン事件をめぐる被害者たちへのインタビューを収めた『アンダーグラウンド』よりもこちらの方が好きだ。それは多分に「私もサリンを撒く側に立ったかもしれない」と思ってしまうからかもしれない。私の中にも「世の中を良くしたい」という動機で凶行に走ってしまう心理、麻原彰晃のようなカリスマに帰依してしまう心理がないとも言えないからだ。

私の人生を振り返ってみると、『約束された場所で』で語られる人物たちのようにこの世界を生きることに辛さを感じ、周囲の大人たちがバカみたいに見えて彼らのロジックに馴染めないものを感じていた。なぜ生きるのだろう、自分自身の役割は何だろうと考えてしまい、そう考えるが故に孤独に陥ったりしていたのだった。そんな孤独な私がもしオウム真理教みたいな団体と出会っていれば、私自身も呑み込まれていたかもしれない。私はそこまで強くない。幸いなことに私の場合は村上春樹の小説があり、ポップカルチャーがあったわけだが。

村上春樹河合隼雄との対談で、オウム真理教が「悪」を体現した存在であると語っている。だが、私はもっと突っ込んでオウム真理教自身が「善」に基づいて、つまり人々を本気で救いたかったからサリンを撒いたと考えられないだろうかと考えた。いや、麻原彰晃はどうしようもない俗物だったのかもしれないが、信者の中にはこの世界自体もまた「俗」で「悪」としか捉えられなかったのではないか、と。そうだとすると「悪」より「善」の暴走として地下鉄サリン事件が体現されたことになり、その分もっと恐ろしいのではないか、と思われる。そしてそうした独善の暴走は今も形を変えて散見される。

『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』第2話を観る。何を隠そう、私は最近は韓国文化が気になっておりDiscordでも韓国を語るサーバに入ったりしているのだった。自閉症スペクトラム障害の天才的思考能力を持つ主人公と、その主人公の奇矯な言動及び思考回路に振り回されながらも優しく接する周囲の人物たちのドラマが展開されており、なかなか魅せる。私は韓国のことはぜんぜんわからないので、このドラマを見て勉強したいと思う。すでに韓国の豊穣な文化の前で日本はタジタジ、なのかもしれないと思うと多少は私の中のナショナリズムパトリオティズムが疼いてしまう。日本のネトウヨはこうした状況にこそ怒るべきだろう。