跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/14

BGM: 大江千里 "夏渡し"

コロナ禍が始まってどれくらい経ったのだろう。私はもう、昔マスクをしなくても大丈夫だった頃のことを思い出せないでいる。そんな時代があったということが信じられない。私自身は今のところ熱もないし咳もたまにしか出ない(多分マスクのしすぎかクーラーのせいだろうと思う)。もちろん油断は禁物だ。コロナ禍のせいで英会話教室もミーティングもなかなか集まれず、辛い思いをしながら耐えてきた。だが、私はまだ恵まれているのだろう。仕事があるし、友だちも身近にいる。収入もある。日常生活が何とか維持できているからだ。

日常生活……普通の暮らしというもののありがたみについて考えた。いつものことがいつものように起きる、ということ。荷物が予定した日に届くとか、電気や水道が思い通りに使えるとか。それらは皆、そうしたインフラを整える人が居てのことなのだ。そのことにありがたみを感じる。同じ空の下で、この瞬間にも日常生活を維持しようと務めている人が居られる。それを思うと本当に感謝するしかない。かつての私はそんな代わり映えのしない毎日を退屈だと思ってしまっていたが、そんなことはない。退屈で平凡な日々こそが尊いのだと思う。

読書はバリー・ユアグロー『一人の男が飛行機から飛び降りる』という本を読み始めた。バリー・ユアグローは実に奇妙な掌編を書く作家で、私は柴田元幸が翻訳しているからという理由で読み始めたのだけれどすっかり気に入ってかつて読み耽ったことを思い出す。実を言うとまた超短編というか、シュールな夢のような作品を書きたくなったので着想の源になればと思って読み返すことにしたのだった。なかなか面白い。スラップスティックで少しエッチで、何だか榎本俊二の漫画のようなおかしみがあるがそこまで下品でもない。唯一無二の境地だ。

そんな感じで、読書は昔読んだ本を読み返すばかりの日々が続く。音楽にしてもかつて流行ったピチカート・ファイヴ大江千里を聴いているので、新しいものとの出会いがなかなか訪れない。フレッシュな新人が生み出すものに触れたいとも思う反面、そうして過去をたどり直しているとポール・マッカートニー永井荷風のような先人がいかに昔フレッシュだったかわかってくる。『濹東綺譚』なんて今読んでも充分面白い。何だかこのまま昔アホみたいに買い込んだ本を読み返すだけの日々を過ごして、そのまま50代に入っていくのもいいのかもしれないとも思う。ずいぶん「しけた」考えかもしれないけれど。