跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/07/20

九州に済む友だちとWhatsAppで話をする。九州で豪雨が降ったことについて訊いてみたが、そんなに被害はなかったとのことで安心する。とあるサイトで、ジョニー・マーボビー・ギレスピーが共演したという話題を目にしたのでその話をシェアした。もうプライマル・スクリームのことを意識的に追わなくなってずいぶん経つが、彼らが偉大であるという認識は変わらない。彼らもすっかりレジェンドになってしまった。私の中のロック・ミュージックはまだ90年代で止まったままだな、と思ってしまう。ブリットポップでありトリップホップであり、ローファイであった時代……。

今日、変なことを考えてしまった。私は早稲田を出てその後流浪の人生を歩んでここまで来てしまったわけだけれど、どこかでまだ「こんなところで終わらない、誰かがいつか私を探し出してくれる」と思ってしまっているのかな、と思ったのだ。そんな考えというのは危険だ。というのは、自分が正当に評価されていないという思いはそのまま世界に対するヘイトにつながると思うからだ。最近のニュースでは安倍元総理を狙撃した容疑者のことを思い出してしまう。彼のヘイトもそうした、自分が正当に扱われていないという思いゆえのものだったのではなかったか。いや、邪推は危険なのだが。

私はロスジェネと呼ばれる世代に属している。この世代はベビーブームに生まれたので受験戦争で苦しい思いをして、そこで勝ち残ったとしても就職氷河期のシビアな現実で辛酸を嘗めなければならなかった。私自身就職活動で失敗した人間なので苦しい思いをした。そんな世代とほぼ同じと考えてみれば、例の容疑者が見てきた風景が見えてくるように思う。犯罪というものはむろん時代が生み出す要素があり、個人に還元されるべき原因がある。私は焦らず、彼が見た風景を見てみたい。もっと彼に関するニュースを追おうと思った。

今の読書は大岡昇平『成城だより』を読んでいる。齢70に達した大岡昇平が、しかし未だフレッシュな感性を以て『地獄の黙示録』のような映画を観て、アリスや中島みゆきのようなニュー・ミュージックを聞いて様々な本を読み学び続けているその記録を綴った日記だ。非常に面白い。今大岡昇平が生きていたらこの時代をどう描写したのだろうか、と考えてしまう。と同時に、私自身も大岡のそんなフレッシュな感受性から学ばなければならないと思ってしまった。剛直なフェアネスが心地よい。もっと読み進めたいと思った。