BGM : PRISM "metronome melody"
今日は発達障害を考えるミーティングに参加した。といっても参加したメンバーは私を入れて3人だけだったので、午前中だけで終わってしまった。私は自分の過去のことを話した。かつて自分がまだ発達障害者だとわかっていなかった頃、人格障害を疑ったことがあった。生きづらいのは自分の人格そのものに問題がある……そう思い、自分を変えようと思って必死になったのだった。関わっていた自助グループのリーダーから全人格を否定されることを言われて、それで耐えきれなくなって決裂したことを思い出した。ああ、そんな30代を私は生きた。苦しかった(ずいぶん酒に溺れてしまった)。
他の参加者からは、コロナ禍の中仕事についてどう取り組んでいるかという話やジョブコーチの実情について語られた。形にならない仕事、あるいはあって当たり前と思われてしまう仕事をいかにこなすか……前者はアイデアの段階にある仕事が該当する。後者は社内でのネット環境やインフラ構築が該当する。どちらも大事ではあるが目に見えない裏方仕事だ。だが、そういう仕事があってこそ私たちは安心して自分の仕事に専念できる。そういう見えない仕事はいわば「セーフティネット」なのかもしれない。またひとつ学んだように思った。
そのミーティングが終わった後、図書館に行く。阿久津隆の日記の中で引用されていた「保坂和志は日本のジョン・マクレガー」というレビューに惹かれ、保坂和志好きとしては読まないわけにはいかないと思いジョン・マクレガー『奇跡も語る者がいなければ』を借りる。それで少しだけ読んでみたのだけれど、似ても似つかない作品だと思った。むろん完読していないので評価はできないが、強いて言えば金井美恵子『岸辺のない海』をもっと読みやすくしたような出来だと思う。散文詩のような要素がある、という意味では確かに保坂作品に似ているかなと思うのだが、ニック・ドレイクとアズテック・カメラが似ていないのと同じくらい似ていない(マニアックな喩えでごめんなさい)。
そういうわけで、午後は丸々読書で費やしてしまった。ベッドに寝転がり本を読んでのんべんだらりと過ごすという、実にクリエイティブな(!)過ごし方をしたのだった。夜にLINEで少し他の人と話す。日本人はなぜ英語を喋れないか、というトピックで議論がなされていた。私はこれだけ英語が社会にあふれている環境に住んでいる日本人が英語をまるっきり喋れないとは考えにくいと思っている。ただ喋るにあたって場数を踏んでいないだけの話だ、と思うのだ(私自身もまさか自分が英語で発信するようになるとは、10年前、いや5年前でさえも思ってもみなかった)。もっと大胆に、ルー大柴や出川哲朗を見習って日常生活に英語を取り入れてみるのもいいのではないか、と思った。