跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/12

シェリー・タークル『つながっているのに孤独』という本を読み続けている。そこでFacebookTwitterにおける「イケている私」を演じること、そんな自分自身を過度に演出することが語られているのを読み、私自身のことを思い出した。私もまた、FacebookTwitterにおいて「イケている私」を晒そうと必死だったことがあった。悩んでいる私、弱い私を隠そうとして……もちろんそれはそれで悪いことではない。弱い自分を無闇に晒すのは危ういとも思うので、隠すことは健全な心理だとも思う。だが、私の場合は見栄を張ろうとする心理が過剰だったと思うのだ。

見栄を取り払ってみれば、今の私は決してクールではない。貧乏人だし、足も短いし体型も太っちょだし他にもコンプレックスを感じるところはいっぱいある。何でこんな人間に生まれついてしまったのかなあ、と思わなくもない。そして、かつてはそんな自分を認めるのが嫌で嫌でたまらなかったので、そんな自分を拒否してクールになろう、悩みを笑い飛ばそうと必死だったと思う。いや、悩みを笑う心理は必要かもしれない。だが、私は結局のところそうして現実を拒否してネットの世界に「理想の私」を作ろうと必死だったのかなとも思った。平たく言えば現実逃避だ。

だけど、ならどうして今のように「理想の私」とサヨナラして地道に、みっともない自分を生きようと考えるようになったのだろう。人気者になろうとかアルファブロガー・アルファツイッタラーといった形でのご意見番になろうとか必死だった自分が、そんな邪念や欲を捨てて今のように振る舞えるようになったのはなぜだろう。やはりそれは40歳を超えて大事な人とめぐり会って、その方々に等身大の「イケてない私」を認めてもらったことが大きかったのだと思う。私は「イケている私」にならなくても、充分愛される。そう思えるようになったのが大きかったかな、と思った。

今日は国際交流協会のスタッフの方が催すミーティングで私の日記について話す機会があった。私は正直に自分の日記について話した。日々、日本語でFacebookの画面に8行×4段落を書き、それを英語に訳しているということ……記録することの力について、参加者の方からいろいろな意見をいただき参考になった。私自身、今後何かの役に立てばと思って職場で起きた問題や私が成した仕事について記録することを試みている。私は忘れっぽいし気分もコロコロ変わりやすい人間なので、こうした記録が力になることは改めて身に沁みて感じている。とはいえ、サボってしまうこともあるので気を引き締める必要があるのだった。