跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/09

今日は遅番だった。石野卓球『KARAOKEJACK』を聴きながらシェリー・タークル『つながっているのに孤独』を読み続ける。『一緒にいてもスマホ』とも共通する、具体的なファクトを積み重ねて冷静にかつ丁寧に議論を進めようとする姿勢に共感を抱く。私はWhatsAppやDiscordといったアプリを使って英語でチャットに興じているのだけれど、シェリー・タークルからすればこうしたチャットは「バーチャル」なのだろうかと思った。「フェイス・トゥ・フェイス」のコミュニケーションではないということで、一段低く見られるのだろうか、と。

「つながっているのに孤独」というタイトルが面白い。私もまたスマホやパソコンを使っていながら、「つながっているのに孤独」を感じることがある。友だちとチャットをしていても、メールを送ったりしても孤独を感じる……でも、ならば(シェリー・タークルが語るように)孤独こそが自分を深めるベストソリューションなのだろうかと考えると、かつて孤独に苛まれて生きていた私としては「違うのではないか」とも思ってしまう。人は孤独では生きられないと思う。だが、孤独は大事な境地であるとも思うので難しい。

AIBOについて書かれた箇所を読み、他者性について考える。人間は(当たり前のことを書くが)プログラミングされた存在ではない。ゆえに刺激を与えた場合反応はランダムに帰ってくる。私は昔、そういう人間のデタラメさがわからなかった。どう話しかければどう反応するか、それがわからなかったのだ(強いて言えば、何をどう話しかけても相手は最終的に怒るということを学んだ)。ゆえに私は人間とはデタラメな存在であって、本を相手にしている方がずっと心が落ち着くと思うようになったのかもしれない。あるいは私は過度にロジカルで自閉的な人間だった、ということになるのかもしれないけれど。

昼、WeChatで中国の女性とチャットをする。話題は母の日に何をしたかということから始まり、私は近々両親の家に帰省することを話した。そして読んでいた『つながっているのに孤独』の話をして、バーチャルなコミュニケーションについて話した。私自身が自閉症であることにも話は及んだ。彼女は「そうは思えない」と言った。文字でのコミュニケーションでは私の自閉症的な特徴は出にくい。だから困っていることがわからないのもむべなるかなということになる。楽しいひと時を過ごし、その後午後から仕事に励んだ。そして一日が終わった。