今日は早番だった。今朝、もうダメだと思った。理由はないのだけれど、不安に囚われてしまい「もし今日死んだらどうしよう」とまで思った(バカみたいだと自分でも思うのだけれど、こんな考えに囚われるとそこから抜け出すのが難しくなる)。でも、仕事はそんな私に対して甘くない。なので求められるがままに仕事をし始めたら、次第に仕事のリズムを身体がつかみ始めて気分が乗ってきた。「意思あるところに道あり」というが、私の「仕事をしたい」「生きたい」という気持ちがこうしてまた仕事をこなすという形になったということかな、と思った。
私の考え方は時々哲学的だと言われる。私は常に物事を疑う癖があるのでそのせいかもしれない。疑い始めたら、それこそ「今日自分が死なないとも限らない」ということまで考え始める。哲学の分野だとこういう思想はサルトルやレヴィナスなどに代表される実存主義になるのだろうか。疑い始めてしまい、深く深く自分を掘り下げる。そうすると気分が悪くなってくる。今日、昼にランチを食べた後もこのことについて考え続けた。どこかで「私は死なない。私は仕事をやり遂げる」と考えを止めて決断する勇気を持たなければならないのだと思った。内なる声に耳を傾けて。
「我思う故に我在り」と言ったのはルネ・デカルトだったが、私は「我疑う故に我在り」である。子どもの頃からずっと自分の考えは変だと言われてバカにされて育ってきたので、自分の考えがどう変でありうるのか、どう間違っているのか考える癖がついたのだと思う。それは今こうして物事を考える上で、多角的にその物事を捉えて考察するという形で役に立っている。のだけれど、その「疑う」を突き詰めると上述した「生きている」ということまで疑い始めてしまい、キリがなくなる。やれやれ、今日はこんな堂々めぐりを書き続けるしかないようだ。
ジュディスさんと昼にWhatsAppで会話をする。ジュディスさんとの会話から、私は過去の自分と今の自分を比べてどう自分が進んだか、前に歩むことができたか考えた。私は前進しているのだなと思い、過去の苦しかった思い出はここに来るまでに必要だったのかもしれないとも考えた。いや、二度と繰り返したくない思い出ではあるのだけれどそれでもあの苦しみがあったからこそ今があるのかな、と。唐突に、人間はみんな旅人のようなものかなと思った。みんな途上にあり、旅を生きている。私もまたそうだ。私の人生はきっとある種のクエストなのだ、と。