跳舞猫日録

Life goes on brah!

ピンクの象と謹製私小説

なぜ、ぼくは生きているんだろう? ぼくはその問いについて考える。つまりこういうことだ。ぼくの心臓はいつか止まる。でも、それが「今」でない理由はどこにあるんだろう、と。あるいは、その心臓が止まる瞬間が今から5分後ではない、という可能性はどこにあるんだろうと。

なんだかヘンな話で始めてしまった。でも、ぼくはこんなことをいつも大真面目に考えている。ぼくはさしあたってウクライナ情勢や日本のコロナ禍といったことに興味はなくて、いやもちろんそういう問題は大問題だとも思うのだけれどももっと大事なのが、ぼくが「今ここ」にいていつか「今ここ」からいなくなるということだ。そんなことばかり考えているからぼくは会社で出世することもないし、金を稼いているわけでもないのだろう。そう思うとぼくは自分が情けなくなる。

でも、こんなふうなことを考えてしまうんだから仕方がない。「口に戸は立てられない」ということわざがある。人が噂にしてしまうことはどうしたって止められない、という意味だ。でも、口にする前に一歩間を置いて考え直すことはできる。本当に辛いのは考えまいとしても考えが湧いてしまうことだと思う。有名なのは「ピンクのぞうさん」の話だ。「ピンクのぞうさんのことは絶対に考えないでください」と言われたら、みんな困るんじゃないだろうか。少なくともぼくはそんなことを言われたらピンクのぞうさんが頭の中でチャールストンを踊ってしまう。

やれやれ、ぼくの中のミルコ・クロコップが「お前はなにを言っているんだ」って言い出した。だから、ぼくは小説なんて書くのは嫌なんだ。ぼくに小説を書くように薦めてくれたのはぼくの女友達の|山名繭《やまなまゆ》という女性だ。彼女とはぼくはここ数年付き合いをしている。と言っても「男と女」の付き合いじゃない。恋人ではない。不思議に思うのだけど、どうして男と女の間には「男と女」の関係しか成り立たないと思う人がいるのだろう。ぼくらはそんな関係じゃない。でも、この話をするのはもっと後からでもいいだろう。

思い出した。繭から言われたのは、「思いついたところからとにかく書きなぐっていけ」ということだった。思いつくこと……例えば今日、ぼくは仕事をしながらずっとスピッツの曲を口ずさんでいた。今日はいい天気の春の日で、絶好の行楽日和。ぼくもこんなコロナ禍じゃなかったら、スマホを使ってSpotifyスピッツの『惑星のかけら』を流しながらバイクを走らせたい。でも、ぼくは実は天気のいい日が苦手だ(その理由もいずれ話すことがあるだろう)。しょうがないので草野マサムネと一緒に「ゴーゴーリコシェ」と口ずさみながら仕事をした。

「音楽って面白いね」と繭が言ったことを思い出した。「自分の中のなにかをアゲてくれる時の音楽が特にそうなんだけれど、聞いていると自分自身って水の中の魚みたいだと思う。だとしたら音楽は熱帯魚にとっての酸素なのかな、って」。これはぼくはわかる気がする。ぼくも、いつも部屋の中では音楽を聞いている。ぼくが聞く音楽はヘンな音楽が多い。坂本龍一細野晴臣のソロを聞いたり、レイ・ハラカミケン・イシイを聞いてみたり。音楽が自分を活性化させてくれるなら、ぼくにとって音楽とはどういう役割なんだろう。

なんだかまとまらないヘンな出だしになってしまった。もうわかる人はわかっていると思うけれど、これから書く話は基本的にこんな話ばかりだ。トラックに轢かれて異世界で大活躍なんてことにもならないし、難病のガールフレンドの姿に生命のかけがえのなさを思うなんてことにもならない。そんなヘンな話だけれど、ぼくが書ける正真正銘の、謹製私小説だ。