跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/03

晴れた日だった。休みだったので朝、ブライアン・グリーンの『時間の終わりまで』を読み始める。著者が死について率直に見つめて書き綴っているところに感銘を受けた。死は避けて通れない。私自身もその考えに取り憑かれて、おかしくなってしまうことがある。ならばその「哲学病」を極めるまでだ。様々なこの世の芸術作品は私たちがみんな生きてきた証を示すために生まれてきたのではないか、と考えてみる。もちろん、どんなものを残そうが人は死ぬ。その儚さを考えて、朝からセンチメンタルな気分になってしまう。

朝、イオンに行った。そしてそこで私は、自分がいろんな物事の奔流の中に巻き込まれていることに気づいた。多くの人々が居て、商品がある。いろんな出来事/イベントが起きている。そうした奔流の中に巻き込まれてしまうと、自分の悩みに拘泥する暇もなくなる。いつかこんな気分に慣れる日が来るのだろうか、と思った。そして、朝どうしてもプレッシャーや心配事に苛まれて落ち着かない時は自分からclubhouseで部屋を立ち上げるなりなんなんりして、人と話したり英語の練習をしたり(むろん、両方できれば一番いい)しようかと考えた。

濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』を観るかとも思ったが、そんな気分にもなれなかったので古田徹也『不道徳的倫理学講義』を読む。「人生すべて博打だぞ」という言葉のリアリティを考える。確かにそうした、運としか言いようのない要素は私の人生の中にあるだろう。男として生まれてきたこと、比較的裕福な家庭に生まれてきたこと、等など……だが、そうした要素を「ガチャ」の産物だと思いたくない自分が居ることに気づく。なぜなのかわからない。だが、「ガチャ」と呼んでしまうと大事なものが失われるように思う。

夜、ZOOMを使って私の町で見つかった弥生時代の遺跡についてレクチャーを聞く。その後、少し気になることがあったので國分功一郎『暇と退屈の倫理学』をつまみ読みする。私たちは「暇と退屈」を本質的に持て余しており、だからこそなんらかの理想/大義を掲げて生命すら捧げる人々を羨ましがる傾向がある、という國分の指摘に現在のウクライナ情勢のことを思う。戦争は暇人が起こす!? というのは冗談がすぎようというものだが……なるほどなにを信じていいかわからない時代。だからこそ「よく生きる」ことを目指す姿勢は大事にしたいと思った。