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2022/02/23

茂木健一郎の英語教育に関するコメントについて改めて考えた。私は、英語を学ぶ動機は大きく2つに分けられると思う。1つは「英語を学ばないといい職に就けない」という形で「外から」半ば強制的に与えられる動機。もう1つは「英語を学んで世界で活躍したい」という形で「内から」湧いて出てくる内発的な動機だ。現実的に考えれば、恐らくこの2つの動機がその人の中で複雑に絡まり合って英語を学ぶ動機が形成されるのだと思う。そして、私なりに考えれば後者の「内から」湧いて出てくる動機がなければ英語の勉強は続かないのではないか。

ここからは茂木の議論からは離れていくが、私自身学校で生徒として勉強していた時は英語の勉強を「外から」強制される形で学んでいた。なんのためにやるのかわからないまま、別の言い方をすれば実際にネイティブに対して英語を使う機会もないまま、目的も曖昧なままに英語を学んでいた。故に、私は学校を卒業してしまうと英語を勉強しなくなってしまった。私が今、英語で日記を書いたりDiscordやWhatsAppで英語でやり取りし始めたのは学校を卒業してから、プライベートで英語を介して友だちを作ってやり取りするようになったからである。彼らに自分の意見を届けたい、という「内から」の動機が芽生えたのだ。

むろん、人にはいろいろある。「外から」強制されて勉強しなくてはならないから勉強する人が英語をマスターする可能性もありうるだろう。だが――私は私の経験からしか語れないのだが――私自身は「内から」湧いて出る動機こそが大事だと思っている。言葉は人とコミュニケートするために存在するのだから、誰かに言葉が通じて思いが伝わった喜びを大事にすること。試行錯誤を通して恥をかき上達していく喜び……それが英語学習を続けるコツではないかと思っている。もっとも、こんな気楽なことを言えるのは私がビジネスシーンで英語を使うような人間ではない、シリアスな英語学習者ではないからかもしれないが。

こんなことをLINEで他の人に伝えたら、その人から面白いことを聞いた。今は、大学生の段階でディベートをする際になかなか自分の意見を出せない生徒が居るというのだ。日本語で言ってもいいから、と促しても意見が出せない。つまり、普段から自分の意見を言う機会が作られないまま育ってきたということになる。ならば英語のテクニックを教える教育に付随してそうした自分の意見を形成し発表する教育を行うことも大事だろう。猪木ではないが「馬鹿になれ」の精神で恥をかきながら自分の意見を語り、相手の意見を尊重する姿勢を学ぶ。それが肝要ではないかと思う。

「愛国者として、日本人の英語力をこのままにしておくことに耐えられない」茂木健一郎氏が“脱TOEIC”、“脱ペーパーテスト”を呼びかけ | 国際 | ABEMA TIMES