跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/02/16

朝、近所のイオンに行く。そこで本を読もうかと思ったのだけれど、フードコートで昼間からストロングゼロを呑んでいる人たちを見かけた。しかもNOマスクで話し込んでいた。結局その人たちはイオンのスタッフに注意されていたのだけれど、私はそれを見て自分自身の過去を思い出した。酒に呑まれていた頃、休みの日は同じように昼間から酒を呑み管を巻いていた。肚の中にあるのは不満ばかりだった。なんでこんな人生を生きなければならないのか、なんで時代はこんな風に変わってしまったのか……(ボウリング・フォー・スープの名曲「1985」ばりにノスタルジーに溺れながら)。

あり余るほど本を読んできたので、私なら私の置かれている時代が他の時代と比べて格別不幸だとは言えないことはわかっているつもりだった(過去を見れば、そもそもこんな風に政府や社会に対して自由に言いたいことすら言えない時代だってあったはずだ)。だが、世が世ならバブルの恩恵に預かって東京で就職しウハウハの人生を送れていたはずだ。なんたって私は早稲田を出たのだから……そして、こんな風に自分ばかり格別不幸だと思うところから不健全な自己愛や怨恨感情が生まれる。過去を振り返ってみれば、まさにそんな被害者意識の塊だった自分が居たことが思い出された。どこか他人を見下していたな、と恥ずかしくなる。

「怒りを込めて振り返るな」と歌ったのはオアシスだった。結局その時々にその時代においてできることをやるしかないのだ。断酒会に所属するようになって、当時は両親と同居していたのだけれど最初に始めたことが「自分の皿は自分で洗う」ということだった(今考えればこんなことを語ること自体本当に甘やかされて生きていたのだな、と改めて恥ずかしく思う)。そしてグループホームに住まわせていただくようになり、自分の服も自分で洗うようになった。そんなことを思い出し、自分もそれなりに「変わった」というか「前進した」ということなのかな、と思った。

夜、鶴見俊輔『期待と回想』を読み終える。分厚い本だが、鶴見の軽快にして明晰な語りに乗っかってスラスラと読めた。かっちりと「正しい」理論や主義を語るのではなく、むしろ大胆に「マチガイ」続けることを恐れないことを主張しているのが印象的だった。私が常に信じている「しくじる時は堂々と」という姿勢(知人が教えてくれた「ナイスエラー」の精神)と同じかな、と思ったのだ。「日常生活」の中に思索の芽を見出し、そこから普遍へと至る道を見出そうとしている姿勢も共感を以て受け容れられる。こんな人が日本にも居たのだな、と興味深く思った。

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