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人生に飽きる? それって頭でっかちな生き方だと思う

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「人生に飽きたくない」という言葉が面白いなと思いました。というのは、ぼくは自分の人生に今のところ「飽きる」気配をまるで感じていないからです。それどころか、今年47歳になるぼくにとって生きることは10代や20代の頃よりもずっと楽しい営みとなっているように思います。もちろん、楽天的なことは言いません。10代や20代の頃に騒いだようなことを40代になって同じテンションで騒げるとは思えません。体力も気力もなくなっているし、守らなければならないものだってそれなりにあります(会社員としての立場。ちなみにぼくは家族を持ちません)。また、ぼくはこれから一生かかっても「何者」にもなれないかもしれません。ぼくは作家になることに憧れを感じていて、それは実を言うと今も続いているのですがこのままだとなれないままで終わりそうです。無名の人生、三流の人生。でも、そんな人生にぼくは愛おしみを感じます。

こないだ、実家に帰りました。実家でやったことと言えば両親とコタツに入って3人で『水戸黄門』を観たくらいです(あとNHKで相撲を観たかも)。ぼくは特に『水戸黄門』なんて観たくなかったのです。マンネリの極北というか、陳腐そのものではないかとさえ思っていました。どうせ最後に水戸黄門が印籠を見せて、悪人はタジタジになって我が身の破滅を思い知って終わる。そして苦労した町人・商人が報われる。このパターンを崩すような『水戸黄門』をぼくは想像できません。そして、実際にぼくが観たのはそんなハンコで押したように勧善懲悪を実行する水戸黄門の姿でした。でも、ぼくはそのドラマに「飽き」なんて感じませんでした。それどころか、昔とは違ってカメラワークや俳優たちの細かな演技、設定の妙といったものに唸らされたのです。普段アホみたいに映画を観ているからそういうところに眼が向いたのかもしれません。

水戸黄門』に関してぼくが言ったことは、人生にも言えるのではないでしょうか。人生は、結局はみんな死んで終わります。それまでの過程も同じです。ぼくたちはデヴィッド・フィンチャーの映画『ベンジャミン・バトン』の登場人物ではないのでみんな等しく年老いて死にます。少子高齢化が語られる日本なので、少なくともぼくたちの少し上の世代が味わったようなバブルの夢を味わうようなこともないでしょう。上野千鶴子的な言い方をすれば「みんな等しく貧乏に慎ましく」なる未来が待っている……でも、そうやって捉える「どうせみんな死ぬ」「どうせこの国は衰退する」なんて整理は頭でっかちではないかな、と思います。ぼくは自分の身体で捉えて体得した真実・真理を重んじる人間なので、「未来がどうなのかは、生きてみないとわからないだろう」と思うのです。この身体ごと未来に向かって飛ぶことを重んじたいのです。

どう生きるか、なぜ生きるか……そういう問題に、ぼくも随分頭でっかちに考えて捉えようとしたことがあります。きっと崇高な意味があるはず、目的があるはず……そう思ったのでした。でも、ぼくはある時こんな「崇高な意味」「崇高な目的」なんて幻想だと思いました。生命とはすべからく無目的に発展・進化を遂げるべきものであり、そこに「意味」や「目的」といったなんらかの秩序を見出すのは人間の勝手なロマンティシズムであるだろうと思ったのです。だからぼくは一時期「人生に意味なんてない」と割り切って好き勝手に生きようと考えました。随分酒を呑み、死ぬ寸前まで至りました。そして泥酔した頭で「おれの人生は終わった」と思い込みました。このことに関しては過去にも書きました。そしていろいろあって、ひょんなことから酒を断って今に至ります。今はご飯が美味しいです。

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そうです。どうせ人生なんて無意味なのです。ぼくという人間が生きたことも、あなたという人間が生きたこともよっぽどの例外でもない限り200年もすれば忘れ去られるでしょう(そして、もっと怖いのは万が一そうした時の洗礼に耐えて名前が生き延びたとしても、それが幸せなことなのか誰にもわからないことなのです!)。これもまた残酷な事実です。でも、ぼくはぼくの人生のオーナーです。そして、ぼくの精神や肉体のオーナーでもあります。そのオーナーとしてぼくはぼくにとって満足な、満ち足りた人生を送りたいと思っています。だからぼくは聴く音楽にこだわり、食べるものも努めて健康的なものにしたいと思います。心地よく、常に自分を愛おしむ……そんな姿勢を忘れたくない。それで人生が明日終わったとしても、今日ぼくがぼくにとって納得できる(というより「腑に落ちる」)生き方をできたとするなら、それでもう十二分に幸せです。