跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/02/03

昼休み、ふとしたことからジェフ・ベゾスの著書を訳したという関美和氏のインタビューを読んだ。英語がペラペラになるにはどうしたらいいか、という永遠の課題に対する厳しい答えだ。「毎日集中して2時間やって20年以上かかる」……私は大学で英文学を学んだが、卒論は日本語で書いたし学生時代お世辞にも熱心に勉強したなんて言えない。その後もブランクがあるので、20年勉強したなんて到底言えない。関氏の言葉はその意味で私にとっても重く感じられた。これから20年みっちりやっても、それでもペラペラになれないかもしれない……。

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そんな私が言うのも烏滸がましいと言うものだが、私が思うに上達するコツというものがあるとするならそれは「自分を好きになる」ことではないか、と思う。上手く英語を喋れないという事実を受け容れ、そして悪戦苦闘する中で少しずつ上手くなっていく自分を愛すること。ささやかな進歩に喜びを感じること……それが半年、一年と続けていればすごい進歩になると思うのだ。そして言葉とは、私の持論によれば頭で喋るものではないと思う。身体が自然に反射神経を駆使して喋っているものだと思うのだ。そこはもう脊髄反射的でいいと思う。

夜、知人とミーティングを行う。そこで私の依存症や酒害体験、断酒会について話した。依存症とはどういうことなのか、という濃い議論になった。人は様々なものに依存する。酒だけではない。仕事、恋、スマートフォン、ゲーム……これも私の持論になるが、依存対象を持たないようにしようとするのではなく、むしろ依存対象を持ちつつもそれで生活に支障を来さないようにする、その「ほどほど」を調整するコツを身につけることが肝要ではないかと思った。酒だって適度に飲めばコミュニケーションを円滑にしたり精神を上向かせたり、といいところはあるのだから。

英語の勉強をしたり断酒会に通ったり……両者に共通して私が学んだことというのは、英語が喋れなかったり酒を止められなかったりという「できない自分」を認めることだろう。そして、その自分を受け容れた上で少しずつ英語が喋れるようになったり一日一日断酒できたりする「ささやかな進歩」を肯定することを学んだとも言える。「できない自分」の「ささやかな進歩」。これは効率のよさを要求される現代ではあまり褒められた考え方ではないかもしれない。でも、その泥臭い努力や進歩をナメてはいけないとも思うのだった。